メロンソーダ(ひとりじゃ飲みきれない)
すきなひとといるのがどうしようもなく好きだけれどそういえば別にひとりもきらいじゃなかったんだった、とひとりハンバーガーを食べたりぼんやりと帰り道を歩いていたりすると思い出す。普段は飲まない炭酸飲料がふと飲みたくなって、セットのドリンクをメロンソーダにしたら案の定飲み切るのが大変だったな、だいすきな友達とのんだ苺のクリームソーダは最後までずうっとおいしかったのに、大抵のもの、全部やわらかくまろやかに甘くならないかと思う、そうしたらみんなしあわせでいられる気がしちゃう。苦いものや刺激を、自分からひろいに行くひとだっているのに。
メロンソーダの馬鹿みたいな緑色が好きだってはなしを書いたことがある、そこだけが自分で、あと全部フィクションのはなし。
でもずっとひとりだったら、ひとりで、どんどん感情の浮き沈みが鈍くなって自分を守るようになったら、比喩じゃなくて本当に月が綺麗とか星がよく見えるとかそういうの気づけなくなっちゃったり、知らない花の名前もあたらしいスイーツの味も誰かの気持ちももう知らなくていいやって鈍感になっちゃったりすること、知っている。
すきなひとといるときのわたしがいちばんかわいくって、だからそんなわたししか愛せない。彼は時折わたしの書いた詩を読んでわからないと言う、わからないものを受け入れるのは、少しでもわかろうとするのは、やさしさや愛情でしかないのだと思うのだけれど、頑固なわたしはそうやって愛を渡したい場所に渡せているだろうか、例えば自分自身の悪癖とか、そういう、わかりたくないところにまで。
ここに雑記として書くものは、ほんとうに雑然としていてよいな、と思っています、エッセイと名前をつけて伝えたいことをきちんと伝わるように書くことがしたいけれど、ここはわたしにとってそういう場所になってしまいませんようにと思います、
小さな箱庭、箱庭だってまぁお気に入りの花を植えたらみんなに見てほしいしお茶会がしたいのだけれど。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。