およいでいくわたしとらいねんの4月は
4月ですね、どうですか、あたらしい生活とか、はじまるひともたくさんいるんだろうな、
もしかしたら、それどころじゃないかもしれないよのなかで、ほんとに、無責任なんだけど、はやくおだやかな日常がすべてのひとに訪れますようにと願うばかりです、
もっともっと大変な人、もちろんたくさんいるのもわかってるけど、会いたい人に会えないとか、見たいものが見られないとか、それだけでも、ひとがどんなにさびしくなるか、想像もしたくないくらいだよ。
行きたいとことかしたいこととかほしいものとか、聞かれるたびにほんのちょっと困る、欲がないよね、と言われるの、ちがうんだけどなぁと思うの、ほんとうはだれより欲深いのになって。場所とか物とかに対する執着が、みんなみんなひとや理想や、そういう曖昧なものに向かってしまうだけで。
がっかりしたくないから期待なんかいつだってしたくないのに、すべてに期待してないと生きてなんかいられなくって、しあわせになりたいなんて漠然とつぶやくのも、手放しのしあわせがちゃんとどこかにあるって信じているからで、
絶望、してないって、いいことなんだけどさ、だからってそれまでに傷ついたりすること、うけいれたくないよねぇ。
3年前の自分が見たらわらっちゃうくらい、変わっていることもある、でも愛だの詩だのなんだののためにばっかりエネルギーを割いたりしてる根本的なとこ、もうずっと変わらなくって、だからいいと思った、
いつだって詩を書いていたかった、これは焦燥で欲望で、夢でも理想でもない。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。