ぼやけた世界とセブンティーンアイス
電車のなかで眠ってしまって、ずれたコンタクトを駅のごみ箱に捨てて歩く帰り道、そんなに寒くないけどそんなに晴れてないからいつもみたいに星は見えないね、少ない街灯や信号だけがぼんやり輪郭を失ったままひかっている、
太宰治の女生徒の一節を思い出した、けれど、わたしには、眼鏡をとった世界の不確かさはおそろしすぎる。
見たくないものまで見えちゃったってかまわないから、もっと鮮やかで、それぞれの輪郭を保ったままの、リアルな景色のうつくしさを知ってるから、それに、ねぇ、すきなひとの表情も手も肌も、焼きつけられるくらいはっきり見つめていたい。
あたまのなかで流れていた歌を、少し離れた場所で歌いだすこいびと、買って!ってお願いして買ってもらった自販機のアイスのカラフルなチョコスプレーがかわいくていとしくてたまらなくて、あぁこういうときのためにみんな写真を撮るのかと思った、写真を撮る習慣がない、かわりにこうして文章を書いている気がしたけれど、別に両方したっていいもんね、
してもらったこと、与えてもらったもの、たくさんあるのに、どうしてそれをずっと覚えて数えていられないんだろうと思う。ときどき、ほしかったのにもらえなかったものばかり、小さな絶望ばかり数えて勝手にさみしくかなしくなってしまったりするの、
ちょこんと飛び出した糸をわざわざほじくりかえして引っ張って、ほつれさせるのは大抵自分なのだ、わたしは、にんげんは、なんてお馬鹿でいとおしいんだろうといつもいつも思っているよ、毎度毎度書いているけど。
となりからしたチョコミントの香りを思い出す、いつか生活のにおいになっていく、くだらない過去と少し違うたばこ、わたしがめくる紙、いっしょにたべるごはん、
つよくつよくでもやさしくおだやかな、詩、の、におい。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。