おめでとうって、祝われて、あなたを祝って、いきていきたいよ
今日はお誕生日みたいです、
すきなひとたちも、Twitterとかでも、たくさん祝っていただけてうれしい、ありがたいね。
せっかくだし幼き日の写真をくっつけてみました、母子手帳、見せてもらったら、15時40分に産まれたんだって。20年以上生きてきて、はじめてちゃんと知った気がする。
誕生日、祝われるのってしあわせです、存在するだけで肯定されてるみたいな気分になるから、しあわせ、だから歳を重ねることだって、うつくしくて、幸せなことのはずだから、胸を張っていたいなぁって思うんです。たまーにこわくなっちゃうから、ほら、大人になんなきゃとか、いろんなこと、ゆるされなくなっちゃうんじゃないかって。
いくつになったってしたいことがあって、着ていたい服があって、うつくしいと思うものがあって、ゆるせなくて、泣いたり怒ったりしたくなることがあって、そういうの、年齢も性別も何もかも関係なくって(伝え方は大事だけど)、みんな、みんなが大切にしたっていいものなんだって、ちゃんと思っているのに、
まわりの目や言葉がどうしたって気になってしまうの、かなしいけどひとと交わっていきていきたくって、
要するに自分の思ってること、考えてること、ゆずれないこと、じょうずに発信できるひとになりたいってはなしです。
ひとつ歳を重ねたから、もうすこしだけやさしく、つよく、かしこく、かわいくなりたいなぁっていうのが目標です、あとね、もっともっと詩を、言葉を、読んでもらえるようになること、伝えられるようになること、願わくば、そうして生きていくこと。
いつも言ってるけどね、だいじなもの、だいじなひと、だいじにできるように失敗しながらがんばるから、これからもよろしくね。
また、来年の産まれた日まで。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。