1122箱目のイマジナリーHOPE
ふとんの中で泣きながらエンタメに触れるだけのじんせいをはやくやめたい。
幸福には際限がなくて、際限があったらさらに無気力のゾンビになっちゃうんだろうから人間はうまいことできてるし、わたしは人間をうまいことやれない。
幸福に際限がないならたぶん絶望にもなくて、それって絶望じゃない?って、自分がいつか詠んだ短歌を思い出す。
自分だけのものだった絶望はネットミームになって、だからもう価値なくて、そしたらこんどは何を抱えて生きていけばいいんだろう。なんて、ふと思うからわたしは月に嫌われたりするんだろうね。
絶望のステッカー、可愛いからスマホケースに貼ったわけじゃないのに。いつの間にか勝手に貼られてて、無理に剥がしたら汚くなるし、だったら何とか可愛くしようとしただけなのに。目的と理由はいつの間にか入れ替わる。
エンタメも際限なく増えていくから幸福だの絶望だのに似ていて、だからみんな好きなんだと思う。少なくともわたしはそうだよ。
わたしも早くそうなりたい、無秩序に散らばって、ありもしない規則性をだれかに探されたい。
夢に出てきた大して見たこともないYouTuberのInstagramを覗いてみてもお腹が痛いのは治らなくて、新作のポケモンが楽しいから詩を書かない日に寝付けないのは明るすぎるゲーム画面とホルモンのせいでそれ以外のなんでもない、だから哀しい。
歌いながら生きていたいのに歌いたい曲がわからないから、吸わない煙草と飲まないお酒を空にしてみるイマジナリー、
大抵のものはもうこの世にあるのに、わたしだけずっと買えないドラッグストアの鎮痛剤、わたしだけずっと売られない、コンビニの雑誌コーナー。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。