詩のような詩にならない詩を書きたい日のきせき
12月ですね、あと1ヶ月で今年も終わるんだって、ほんとうは別にだからどうってことはないんだけど、はやいなぁ、やばいなぁって、ぼんやりした焦燥感と鑑賞にひたったりする。2020年だって、ピンとこないよねぇ。
たとえば周期的な憂鬱とか、生活のくるしさとか、うまくできないこととか、簡単になくなったりぐちゃぐちゃになったりする恋とかひととの関係とか、
なんかもう全部嫌になっちゃいそうになって麻痺したみたいに日常を繰り返したりして、ほんと、弱くって怠け者でやんなっちゃうし、身近な誰かの声が聞きたくてたまんなかったけどイヤホンで耳をふさいで寒いなぁってぼうっと歩く日の暮れかけた帰り道、
電線の隙間からのぞく月がやけに目についてうつくしくて、すれ違った車のナンバーが自分の誕生日とおんなじだったりして、おまけにシャッフル再生で流れてきたクリープハイプの陽、
今日はアタリ 今日はハズレ そんな毎日でも 明日も進んでいかなきゃいけないから
ああなんだよなにもかも完璧かよって、マフラーに隠して小さな声で泣きそうになりながら口ずさんだの、涙、こぼれなかったこと反省したいくらいの切なさといとおしさ。
そうやって帰った家、スクロールした画面の中で、年齢も過去もなにもかもばらばらなアイドルはおなじ画面のなかでひとつとして踊ってた、そう、そういうことだよね、ねぇ、
なんにもうまくいく気がしなくても捨てられないものがあって、どうしたってしあわせになりたくて、結局わたしはわたしの選択を、わたしの生を、いきるしかないんだから、それしかないんだからって、あとどれだけ落ち込んだら、失敗したら、悔しくなったら、忘れることなくいられるのかわかんないけど、忘れたらまた思い出せば大丈夫、
やっぱり来年の目標も素直に、謙虚に、傲慢に生きることだよ、そんでやさしくかわいくつよくなることだよ、そんで、きみと、きみたちと、あいしあうことだよ。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。