青い鳥は801枚目のTシャツをさらっていった


とうとう8月になってしまった、だからといってどうということはなく、ことしも夏はやっぱりあんまり好きになれないままです。


エアコンのきいた部屋の中で横たわっているあいだ、死ぬまでに読めない本、死ぬまでに見れない映画、死ぬまでに聴けない音楽、死ぬまでに歌えない歌、死ぬまでに着れない服、死ぬまでに立てない場所、のことばかり考えるのは、夏がやけに鮮やかで、みんなわたしとは別の生きものとして生きたり死んだりしていることを突きつけられるからですか。

それともそんなの全部かっこつけたいだけのあと付けで、わたしが焦燥に塗れているからですか。


いままでのことを蔑ろにする恩知らずのわたしのTwitterはとうとうXになったけれど、柔らかく生きていたいこととあなたを刺してしまえるくらい心臓を鋭く鋭く研いでいたいことのどっちも嘘じゃないって、嘘じゃないから面倒だって分かってくれるひとと一緒にいつまでも親友のあだ名のようにツイッターと呼んでいたい。

変わらないものなんてないことが君にとって、わたしにとって救いなのか呪いなのかまだ分からないけどとにかく変わらないでいるのは怖くて、なにかを気まぐれに始めてみたり髪を伸ばしてみたりアイシャドウの色を変えたりして、変わりたくないことを変えないために服を着替える。
新しい服ばかり欲しくなって、だけどいくつ買っても着る服がないようなむしゃくしゃする気持ち、いつになったら無くなるかな、ダイエットが上手くやれれば、すこしは大丈夫になれるだろうか。






生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。