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「出会った人の内面を変えることができるのが、僕にとってのアートなんだよ」の話
「若手が多く参加してるアートフェアがあるから、今日はみんなで見に行こう!」
私が参加したドイツのアートプログラムは、百二十人くらいの村人が住む小さな集落だった。ある日、アートプログラムのディレクターの提案で、私たちはアートフェアに向かうことになり、二人のアーティストと一緒に、私は車に乗り込む。このメンバーで車に乗ると、一番身体の小さい私はだいたい、後部座席のまんなかに座ることになる。
英語が苦手で彼らの会話がほとんど分からない私は、みんなの真ん中に座ったまま、黙って外の景色を見ながら、会場に着くのを楽しみにしていた。
海外のアートフェアを見に行くのは初めてだ。
会場は大きな建物の中をブース形式で区切っており、イラストっぽいアートから、ハンドメイド作品、照明器具などいろんなジャンルの作品が入り混じっていた。若手ばかりだからだろうか。作品は作品自体も展示のしかたも、あんまりクオリティーが高いとは言えない気がする。
「現代アート限定っていうわけじゃないのかあ」
「そうね、アートっていう感じでもないわ」
私たちはそれぞれ分かれて、各々が好きなところに向かって歩き始める。コンセプトのつくり込みが求められる現代アートとは違い、作家の好きなものがあふれ出すような作品たちに、私は自由さと楽しさと、少しの物足りなさを感じながら会場を見て回っていた。
「いろんなのあるなぁ」
アートを始めたばかりの自分には、何が自分なりの表現なのかはまだ分からない。確立された世界観がある作家をうらやましく思いながらも、自分のそれがどこにあるのかは、いまだに掴めずにいた。
ふと、一つのブースに足を止める。オリジナルのキャラクターのようなものが小さな画用紙にたくさん描かれて、紙のまま壁にたくさん貼り付けられていた。
へたくそだ。
絵も、飾り方も。一枚いくらだろう。近づいて値段を見ると、一枚だいたい十ユーロから二十ユーロ。中には五ユーロのものもある。安い。だけど、このクオリティならそんなもんだろう。
「中国人?」
ブースの隅で絵を描いていた若い男性に話しかけられる。黒髪は珍しいから、海外だと話しかけられることはよくある。
「いや、日本人です。作家さんですか?」
「そうだよ、君は? アーティストかなんか?」
「ああ、はい、一応」
アーティストだと名乗ることには、まだ抵抗があった。始めたばかりなのに、プロフェッショナルといえるほどのものがつくれるわけじゃないのに。どうなったらプロと言えるのか、自分でもよく分からずにいる。
「僕の作品、どう? 気に入った?」
「えっと、分からないです。でもあなたが、このキャラクターのことを好きなのはよく伝わってきました」
「あはははははは、へたくそだって言っていいよ」
私が返答に困っていると、白髪に白髭の年配の男性がやってきて、ドイツ語で男性に話しかける。年配の男性はそのまま、彼の作品をいくつか指さし、まとめて三十点くらい買っていった。
「わぁ、おめでとうございます。すごいですね」
「あの人は僕がどこで何をしても必ず来てくれる人なんだ。ありがたいよね」
「大ファンなんですね」
「まぁね。このスタイルはやめろってよく言われるんだけど」
「このスタイル? いつもは違うものを描いてるんですか?」
私が聞くと、若者は自分のスマホを出して、インスタグラムのページを開いて見せてくれた。
うまい。
デッサンが正確だとかそういうことじゃない。色鮮やかな世界と少しの空想が混じったファンタジックで複雑な世界がそこにあった。数秒で描かれているようなブースに貼っている作品とは大違いだ。
「うわ、すご。これ、誰の作品ですか?」
「僕の。普段はこういうの描いてる」
「ええっ」
私は驚いて彼の作品を二度見してしまう。この絵はとてもヘタクソで、線も汚くて。とても同じ人が描いたようには思えない。
「わざと利き手と逆の手で描いたり、画面を見ずに描いたりするんだ。手癖があって、ちゃんと描くといつも通り描いてしまうからね」
「なんでですか? こんなにすごい絵を描けるのに」
ここまで描けるようになるまで、彼はどれだけ努力をしてきたんだろう。描き続けてきた期間は、私よりもずっとずっと長いはず。それなのになぜ、このブースには彼の時間が凝縮された絵が一枚もないのか。
「僕は絵が描きたいんじゃないんだ。僕が伝えたいのは、僕が好きなこの世界なんだよ。葉っぱの中に一枚だけ光る金色の葉っぱが混ざってる。道はいつもより斜めになっているし、上を走る車は少しだけ注意浮いている。この世界は現実じゃない。この世界のちょっと隣にある世界なんだ」
そう言われて、彼の作品がちょっとファンタジックに感じる理由に気づいた。色合いが鮮やかなだけじゃない。この世界は現実ではないんだ。現実にはありえないことが、彼の描く世界の中では当たり前に起こっている。
「このキャラクターたちも、あなたの好きな世界の住人なんですか?」
「そう!」
彼は顔を笑顔でいっぱいにして立ち上がる。
「いつもの絵を描いている時は、僕のブースには多くの人が足を止めてくれるんだ。でも、誰も僕の絵をちゃんとは見てない。たくさんの人が足を止めているから、良さそうな気がして見てるだけだ。みんながいいって言うから、いいような気がしているだけ。
みんな言うことは同じだからね。色がきれい、世界観がステキ、構図がいい、センスがある、とかね。僕はね、僕の作品を見る人たち一人一人に、自分のオリジナリティーを取り戻してもらいたいんだ」
幼い頃に一枚の絵を見てから、自分も作品を創る人になりたいって思ったんだと彼は私に教えてくれた。自分が創りたい作品は、誰かに称賛されるものじゃなくて、見る人を変えるものなんだと。
「最初はね、褒められるのが嬉しかった。こんな絵が描けるなんてすごいって。みんなに褒めてもらえると、自分にすごい才能があるような気がしてくるし。でもね、だんだん違うなって思い始めてきたんだ。自分がやりたかったことは、自分の絵を見てもらうことじゃないんじゃないかって」
「それで始めたのがこのキャラクターなんですか?」
「うん」
彼は折り畳みの椅子にもう一度座り、右手でキャラクターの絵を描き始める。彼の利き手は左手なのかもしれない。線が揺れて、自分でうまくコントロールできていないような感じがした。
「これが正解なのかは分からない。でもね、さっき小さな子供が来てくれてね。このキャラクターを描きたいっていうから、紙をあげたんだ。そしたらその子が描いてくれたんだよ」
彼が指さした先には、頭でっかちでバランスの悪いキャラクターが描かれていた。目のサイズが左右で違っていて、身体の線は曲線じゃなくてカクカクと折れ曲がってところどころ途切れている。
「もっと描きたいっていうから、たくさん紙をあげたら喜んでたよ」
その子以上に、彼が嬉しいと感じていたのが、彼の表情から伝わってくる。
「アーティストってすごい作品をつくる人なんだって僕は思ってたんだ。でもさ、今ってすごいものはいっぱいあるじゃない? なんでも無料で手に入るし、世界の裏側で起こってることもインターネット経由でいつでも見られるでしょう? すごいだけのものなんてありふれてる。なんでもかんでもアートっていえるし、アートとそうでないものの境界なんて曖昧だろう?」
「そうですね。私も分からないです。特に、何がいいアートか、なんて…」
「そうだね。僕も分からないし、これからも分かる気はしないよ。でもね、僕は僕の作品に注目してもらうよりも、僕の作品と出会った人の内面に変化を起こせるようになりたい。それは絵じゃないかもしれないし、僕にできるかは分からない。でも、そういうことがしたいんだ。それが僕にとってのアートなんだよ」
若い女性二人のお客さんがきて、彼は立ち上がって彼女たちに話しかけに行く。女性たちは彼と楽しそうに話すが、ブースに貼られたキャラクターにはほとんど目を向けない。彼女たちの興味はたぶん、作品じゃなくて作家のほうだ。
私は彼に軽く会釈をして、ブースを離れる。キャラクターの絵しか見てなかったら、彼がどれだけ真摯にアートと向かい合っているのかも知らないままだっただろう。じゃあ、他の作家は?
私は会場に着いて、ちゃんと作品を見てもいないのに、クオリティーが低いなどと思ってしまった自分のことを恥じる。
「表面的なことしか見てなかったんだなぁ。いや、表面すらも見てなかったのかも」
自分の作品に出会ってくれた人のことなんて、これまで考えたことがなかった。作品をつくる人がアーティストであるなら、誰でも今すぐなることができる。でも誰もがなれるものなら、自分がならなくてもいいのか。
私はどんなアーティストになりたいんだろう。
作品に出会ってくれた人たちに何を伝えたいんだろう。
アートフェアの会場を歩きながら、私は彼の言葉を繰り返し心の中で唱えつづけた。
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