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第一章 - 八つの腎臓の町7

 アサは部屋に戻って元の服に着替え直し、肩にたすきがけした小袋に乗車券が入っているのを確認して外に出る。宿からすぐ近くにメニューの書かれた看板が出ている店があった。入り口を開けると地下に下りる階段があり、地下の戸を開けると、薄暗い部屋に弦楽器と太鼓の音が響いている。レストランの奥の少し高くなったステージで二人の猫が音楽を奏でていた。弦がこすれるような音が曲に混じり始めると、太鼓の音が徐々に強くなっていく。入り口で待っていると刺繍の入った白い服を着た黒猫がやってきて、アサを空いている席に案内する。アサは黒い乗車券を見せ、これで食事ができるか聞くと、黒猫はいったん厨房に下がって、大柄な黒猫を連れてきた。紺色の布で頭を覆い、同じく紺色で首元まで隠れるような服の上から紺色のエプロンを足元まで垂らしている。店のオーナー兼料理人だろうか。
「乗車券をお持ちだとか」
「これ?」
 アサが乗車券をオーナーに渡すと、彼は乗車券の匂いを嗅ぎ、ひげを乗車券に当てる。
「代金の代わりにこちらをいただいても?」
「それはイヤ。なら出てくから返して」
 乗車券を手放せば列車に乗ることはできないだろう。アサはオーナーの手から乗車券をもぎ取って席を立つ。
「すまない。料理は好きなものを用意しますので、どうぞお座りを」
 アサは乗車券を小袋にしまいながら、もう一度席に座る。宿やレストランがすべて無料で利用できるなら、盗もうと考える人もいるかもしれない。あまり人には見せないように気をつけようと考える。すでに周囲の客でこちらを気にしている者がいるようだ。しかし、情報は欲しい。
「この乗車券って何か特別な意味があったりする? 何か知ってることがあるなら教えて欲しいんだけど」
「人々の悩みを解決に導いてくれるという話を聞いたことがある。乗車券がそうなのか、乗車券の持ち主がそうなのかは分からない。だが、乗車券が近くにあるだけで、その場所に幸福をもたらすと」
 オーナーが生まれるよりはるか前に、乗車券を持った人たちが来て、町にある病院の基礎を築いたのだという。それまでの町の医療は、呪術的なものや精神論的なものしかなかった。医療の手法が根本的に変わり、猫の寿命が飛躍的に伸びたようだ。
「乗車券の本物を見た人は誰もいない。でもその話は伝わっているからな。この町ならそれを持っていればどこでも歓迎されるさ」
 オーナーはそう言ってから厨房に戻る。アサはメニューの写真を見ながら、魚料理とデザート、それから紅茶を指さして注文する。黒猫は小さく頭を下げてメニューを受け取って厨房へ向かった。
 レストランの壁には踊る黒猫の絵が大きく描かれている。入り口の近くにはグラスがぶら下がったバーカウンター。扉が開き、数人の客が入ってきて、アサの隣の席に案内される。アサが頬杖をついて料理を待っていると、メニューを見ながら話す猫たちの会話が耳に入る。
「もう魚を食べて大丈夫になったのか」
「ああ、すこぶる順調だよ。薄味で低たんぱくの水だらけの食事はもう見たくもないね」
「ははは、魚や肉が食べられないなんて考えられないよな」
「まったくだ。医療の進歩に感謝だよ」
「今はまだ腎臓の数が少ないらしいからなぁ。お前は運がいいよ」
「ああ。早くもっと採れるようになれば、助かる猫は増えるだろうな」
 黒猫が料理の皿を持ってきて、アサのテーブルに並べていく。白いソースのかかった魚に野菜の付け合わせ、数種類のパンの入った籠、数種類の果物が添えられたチーズケーキ。それからミルクティー。口にすると塩気が足りない。猫の舌に合わせてあるのだろうか。アサはテーブルの上にあった塩と胡椒を振りかけて味を調整する。
 食事を終えてレストランを出た時、アサはわざと灰猫亭とは反対の方角に進み、入り組んだ路地を早足で抜けて遠回りをして戻った。乗車券を席から見ていた猫たちが、アサのすぐ後に席を立ったからだ。ついてきている猫がいないことを確かめてから宿の扉を開ける。
灰猫亭に戻った時、受付の時計はすでに四時を回っていたが、ネズミは戻っていなかった。時間は経っているのに、外の明るさが町に着いた時と全く変わっていない。朝のような眩しい光、と日に照らされた白い石の建物。
「食事はいかがでした?」
灰猫亭の主人がアサに声をかける。
「すごくおいしかった。クリームソースのかかった魚も。果物も。猫さんたち、野菜とか食べるのね」
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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