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第一章 - 八つの腎臓の町3
病院を出て、ネズミとアサは教わった宿に向かって歩き出す。三つ目の角を曲がったところに、『灰猫亭』という猫の看板が出た二階建ての建物があった。鈴のついた扉を開けて中に入ると、受付にレリと同じグレーのシマ模様の猫が座っている。猫は細い銀縁のメガネを片手で持ち上げながら「ようこそ、灰猫亭へ」と言ってアサたちに会釈しながら新聞を閉じる。毛の一部が白くなっているのを見ると、灰猫亭の主人は歳のいった猫のようだ。受付カウンターの後ろの時計は一時を指している。
乗車券を出すようにネズミに言われて、アサは小袋から黒い乗車券を出し、ネズミに渡す。ネズミはそれを自分のものと合わせて主人に見せた。ネズミのもつ乗車券はアサの物と違い、赤い色をしていた。
「ああ、案内者の方ですね、承知いたしました。お部屋にご案内致します」
主人は乗車券の両面を確認してから二人に返し、カウンターの後ろに並んだ鍵束を持って受付を出てきた。手で二人を誘導しながら、受付の横にある階段を使って二階に上がる。階段も天井もすべて石でできていて、建物自体がずいぶん重そうだ。アサはネズミの後について階段を上がりながら、壁に触れる。この建物の石には継ぎ目が一つもない。まるで巨大な一つの石をくりぬいて造られているかのようだ。
「こちらへどうぞ」
主人は階段を上がってすぐの部屋の扉を開け、鍵束の一つから鍵を外してネズミに渡す。
「わたしは別の部屋で」
「承知しました。お隣が空いていますので、ご自由にお使いください」
猫は隣の部屋の鍵を開け、鍵をアサに渡し、軽く頭を下げて階段を下りていく。
「列車の出発時間までここにいればいい? わたし、早く自分の国に帰りたいの。あの列車に乗り続けていれば元のところに戻れるんだよね?」
部屋の扉を少し開けた状態で、アサはネズミに声をかけたが、ネズミははっきりとは答えない。
「まずは少し休みましょうか」
アサは扉を閉めると、バックパックを部屋の隅に置いた。身体の大きなネズミが寝るにも十分なくらいの広いベッドにきれいなタオルが丸めて六つ置かれている。青い刺繍の入った白いワンピースが入り口の箪笥に二枚入っていた。ベッドの正面に黒っぽい木の机と鏡。机の上には小さな白い時計が置いてあった。部屋には専用のシャワーとトイレがついていて、使い方は人間のホテルと同じようだった。
「猫砂のトイレとかじゃなくてよかったー。紙もあるし」
猫の町でも生活習慣は人間と変わらないようだ。タオルが多く準備されているのは、人間より毛が多いからかもしれない。試しに洗面所で水を出してみるが、透明な水からはおかしな臭いもしない。
アサはシャワー室に入って砂だらけになった服を脱ぎ、シャワーの赤く塗られた蛇口をひねる。冷たい水はすぐに熱くなったので、青い色の蛇口をひねって温度を調整する。シャワーを浴びながら、レリという名のシマ猫を触った時の感触を思い出す。腹部に固いものがあった。最初は腫瘍かと思ったが、同じ大きさの物が複数個あった。腎臓を移植した場合、身体の中にある腎臓の数が増える。しかし、移植したにしても多すぎる。それに、彼女はまだ若い猫だ。腎不全を起こすほど高齢なわけじゃない。ではなぜ? 彼女の皮膚には脱水の症状が出ていた。張りがなく、皮膚を引っ張った時の戻りが悪かった。
アサはシャワーを止め、茶色の巻き毛をしぼって水を落としてから髪と身体を拭く。棚にあったワンピースに着替え、着ていた服は軽く払ってハンガーにかけた。服も洗いたいがすぐに出かけることになるかもしれないし、状況がまだよく分からない。すぐに命の危険があるような状態ではなさそうだが、元いたところに戻るにはどうしたらいいのか。線路があるのだから、逆に辿れば元いたところには戻れるんじゃないか、そうアサは考えた。
窓から外を見ると、二階建ての白い石の建物が並んでいるのが見える。ほかの建物は石を積み上げて造られているで、見える範囲に灰猫亭のような継ぎ目のない石の建物は見当たらない。路地を歩く猫たちの姿は、ヒトと変わらない。服も着ているし靴も履いている。空は明けたばかりのように明るく、建物がより白く光って見えた。念のため、飲み水を補給しておきたいと思い、バックパックからボトルを出して部屋の外に出た。
階段を下りる少し手前で、入り口のほうから声が聞こえてきた。ネズミと灰猫亭の主人が話しているようだ。
「そうですか、お医者さんを探してらっしゃったんですね」
「はい、それが私の探求なのです」
「その方に出会ってどうなさるおつもりなんですか?」
「確かめたいことがあるんです。どうしても」
「なにを? あ、いや、これはちょっと立ち入ってしまいましたかね。この町に『案内者』さんが来るのも久しぶりだったので、つい」
「以前もどなたか?」
「ええ。といっても大昔の噂が残っているだけですが。ヒトの姿をしていたと聞いていますよ」
アサは足音を大きめに立てながら、階段を下り、主人に声をかけた。
「お水ってもらえますか? ここの水が飲めるのか分からなくて」
「飲めますが、美味しいお水をご用意しますよ」と言われ、アサはボトルを渡す。主人はカウンターの奥の部屋にボトルを持っていく。
受付の前には低いテーブルとクッションソファが置いてある休憩所があり、ソファにはネズミが座っていた。砂のついた黒いコートと黒い帽子のまま。
「シャワーでも浴びてくればよかったのに。砂だらけで気持ち悪くない?」
「私は大丈夫ですから、お気になさらず」
「わたしが逃げないように見張ってるの?」
ネズミはアサの質問には答えない。アサはネズミの向かい側のソファに座る。ソファはやわらかく、身体が包まれるようにソファの中に沈む。
「さっきの猫さん、腎臓が八個って本当ですか?」
アサは沈んだソファから目線だけ上げて答える。
「違うって言ってたじゃない。あの白猫さんが」
「なぜ、あなたが八個あると思ったのか気になって」
アサは答えない。ネズミは黒い帽子を身体の割に小さな右手で少し持ち上げる。ネズミの赤い目が日の光を反射して光る。
「八個。確かにあなたはそう言った。ずいぶん具体的な数です。たくさん、ではなく、八個。私が気になったのは、なぜそんなに具体的な数が分かったのか、です。あなたがレリさんに触れる機会は、私が彼女を抱き上げた一瞬しかなかったはずでは」
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。
▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1
第1章のモデルはタンザニアの世界遺産の町ストーンタウン
▼世界遺産の石の町、タンザニア・ザンジバル島のストーンタウンと奴隷市場
https://mijin-co.me/novel_tanzania_zanzibar/
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