第一章 - 八つの腎臓の町10
「腎臓の養殖!?」
医者とネズミの声が揃う。ベッドの上に横になったレリは黙ったままだ。
「見て」
アサはレリの内臓を映した布の一部を指さす。
「この嚢胞の並びを見て気づかなかった?彼女自身の腎臓二つを除いた六つ全部に、嚢胞が八個ずつ。位置も大きさもほぼ同じ。こんなに完全に同じ並びで嚢胞ってできるもんなの?明らかに人工的でしょ」
「腎臓の養殖っていうのはどういうことでしょう?」
ネズミが聞く。
「ある種の細菌には再生能力があるのね。死んだ猫の腎臓に細菌を植え付け、それを誰かの身体に移植して、生体内で培養しながら腎機能を回復させる。腎臓が復活したら取り出して、腎臓病の猫に移植する。猫は腎不全での死亡率が高い生き物なのね。死んだはずの腎臓が生き返れば、長く生きられる猫が増えるから」
アサは一気に話すと、顕微鏡から離れ、ベッドの横からレリの顔を見下ろす。
「あなたも知ってたんでしょう?いいの、それで」
レリは力を入れて口を結んだ。
「あなたの中にある腎臓、お母さんのものも入ってるんじゃない?」
彼女はうなずき、ベッドから身体を起こす。看護師が白い布を彼女の上からどけ、タオルを渡した。レリはタオルで濡れた身体を拭きながら、口を開いた。
「もともとは母の姉が始めた研究なんです」
レリの母の姉は病院の医師の一人で、腎機能を再生させる研究を行っていた。ネズミを使った実験で腎臓培養の目途がたち、自らの身体を使って腎臓養殖の研究を開始。しかし、その実験過程で、植え付けられた細菌が毒素を出すことが分かったという。
「腎臓の再生と引き換えに、宿主になっている身体が細菌の毒で弱るのね」
「はい。他の猫の身体でも研究は進んでいましたが、私たちの家系が遺伝的に細菌の動きを活発にする何かをもっているようで。移植できるほど腎機能が復活したのは、伯母と母の育てたものしかありません」
「腎機能の再生研究が大詰めだっていうのはすでに聞いていたよ。腎移植に成功した猫のことが一般向けにも記事になっていたほどだ。しかし、こんな方法だったとは・・・」
医者は椅子から立ち上がり、レリからタオルを受け取って看護師に渡す。アサは最初に病院に訪れた時の、待合室にいた猫たちの視線を思い出した。
「病院の猫たちもみんな、腎臓の移植を待ってる。だけど、あなたまだ若いでしょ。養殖腎を全部取り出せば、あなたの体調はまだ戻るかもしれない。もうかなり弱ってるでしょう」
「母は腎臓で亡くなる猫たちを救いたいと、自分から志願して腎臓を育て始めました。私も母の思いを引き継ぎたくて始めたんです。私の生命一つで、多くの生命が助かるのですから」
レリはすでに三個の腎臓を育て、それらは別の猫に移植されたのだという。腎臓の養殖技術はまだ完全には確立されていないが、成功すれば多くの猫たちが救われるはずだと彼女は言う。生体実験に対して非人道的という批判の声もあるようだが、病院は道路や建物の整備費用を負担し、貧しい人たちへの食糧提供などを積極的に行っているため、大きな声にはならないようだ。
「ご自身の身体が実験に使われていても、あなたは納得しているのでしょうか?」
「はい。私の代わりに多くの猫たちが生きてくれるなら、本望です。それに、・・・伯父の宿も助かりますし」
ネズミの問いかけに、レリは少し目を細める。
「あなたは本望かもしれませんが、あなたの妹さんは嫌がってましたよ。実験台にはされたくないと病院で暴れて鎮静剤を打たれていました」
「あの子には子どもをつくるという役目がありますから、私と同じようにはなりません。うちの家系の雌猫は、あの子が最後なんです。今、血を絶やすわけにはいきませんから」
「それは、妹さんが望まれていることなのでしょうか。本人の許可もなく、彼女の身体を皆が勝手に利用しようとしているのでは」
「望む望まないではなく、私たちはそう生まれついたというだけです」
レリは、そろそろ病院に戻ると言ってベッドから立ち上がる。腎臓の安定供給がなされるようになるまで、自分は研究に協力すると強く言い、無表情なネズミの赤い目を見返す。
診療所を出て、レリが自転車タクシーについたかごに乗り込むと、アサはかごに手を置いてレリの顔を見て言った。
「ごめんなさい。たぶん、毒素を抜く方法を期待して来てくれたんだよね。このネズミが治せる方法があるって言って誘ったんだから。もしも、あなたの身体と同じ条件で腎臓を育てられるような培養液が開発されたら、誰かの身体が腎養殖のために使われることはなくなるかもしれない。でも今すぐには・・・」
「ありがとう、私、こう見えても強いのよ。簡単には死にませんし、諦めませんわ」
レリはそう言って去っていった。その時、空全体に響くような鐘の音が鳴り出した。一回、二回、三回。一呼吸よりも時間をかけて、鐘の音が一回ずつ、空全体を覆い尽くすように長く伸びていく。時刻を示す町の鐘の音とは明らかに違う。
「列車の出発の合図です。この鐘の音が十三回鳴り終わると同時に出発になります。支度をして、急いで戻りましょう」
空を見上げてネズミは言う。
「あなたの代わりになる生命なんて、どこにもないんだよ」
アサが去っていくレリを見ながら呟いたのを、ネズミは聞き逃さなかった。
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。
▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1
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