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モスクワ行きの飛行機で聞いた「誰かのために一万回、石を蹴る」という話

 モスクワ行きの飛行機の座席は、中央座席の通路側を選んだ。昔は窓側で雲の写真を撮るのが大好きだったけど、今は通路側を選ぶことが多い。長距離の飛行機に一人で乗り、機内が暗くなると、ブラインドを閉めないと寝てる人に悪いと思っちゃうからだ。
 外が見られないなら、利便性を考えて通路脇がいい。
 あまり眠くもならなくて、パソコンを開いて文章を書き始める。機内が暗くなったので電源を落とそうとすると、隣に座ったおじさんに声をかけられる。

「いいよ、寝ないし、やってて」

お礼を言って、私は作業を続ける。
一本書き上げたところでアイスクリームが配られ、私はパソコンを閉じる。
バニラアイスのフタを開けていると、「食べる?」と言っておじさんが自分の分を差し出す。

「いいんですか?」
「うん、ぼく、甘いのあんまりね」
「私、アイス好きなんですよー。バニラとフローズンヨーグルトと、両方食べたいのになぁって思ってたので、すごいうれしいですー」

おじさんがくれたのはフローズンヨーグルトのほうだった。細長い顔立ちのおじさんは、モスクワに行くところらしい。私はモスクワから、さらにスペイン、バルセロナへ向かう。
アイスをきっかけに、自然と会話が始まる。

「『困ったことがあったら、何でも言ってくださいね!』
 その言葉、ここに来るまでに、すごくたくさんの人に言われたんですよね。その言葉って、すごくないですか?
 何でもですよ。本当に何でも言われたら、自分が困っちゃいません?相当の覚悟みたいなのがないと言えないじゃないですか。
 それを、何回かメッセしただけの会ったこともない人からも言ってもらったんです。
 自分にはできないな、すごいなって思ったんですよね」 
「どんな人に言われたの?」

そう言われて、私は記憶をたどる。

「前からの友だち。スペインに住んでたことがあって詳しい子。その子が紹介してくれた人。あ、あともちろん親にも」

「ひとつ」
おじさんは指を一本立てて言う。それを見て、なんかアル・パチーノみたいだな、と私は思う。アル・パチーノの映画は『インサイダー』しか見たことないし、おじさんが似てるってわけでもなかったけど。

「何でも言って、って言っても、キミがなんでもかんでも言うわけじゃないって、キミ自身の自立心を信頼していること。
 ふたつ。
 人が好きで、世界中どこにいても、助け合いながら生きられたらいい、と思っている人。こういう人はきっと、苦労もしていて、自分が助けられた経験も多いと思うんだ。 だから、助け合うことの尊さを身に染みてるんだよ。

 みっつ。
 紹介してくれた人のことを信頼しているっていうこと」

 私は無言でうなずく。おじさんは上のほうに目を向けて、考えてから続けた。

「何でも言われたら、困るって言ってたけど、どんなことを言われたら困る?」
「ええっと、たとえば、たとえばですよ。
 現地で詐欺にあって、百万円の借金抱えちゃったから、なんとかしてくれ、とか」
「うんうん、それは困るね、あとは?」
「『生きているのがすごく辛いです』っていう人生相談が毎日一万字届くとか。五分ごとにメッセージがきて、返さないと『なんでも言ってって言ったくせに』って言われるとか」
「それは大変だ。そういうこと、今までにあったの?」
「一度もないです」
「あはははは、じゃあキミは、一度もないことが起こるかもしれないって心配してるんだ」
「…はい、そうですね。でも自分の発する言葉に誠実でありたいじゃないですか。そりゃあ、未来の自分が違う考えを持って、全く逆のことを言い始めるかもしれないけど。
 受け止められないと思っている自分が使うには、『困ったらなんでも言って』は重すぎるんです」
「よし、じゃあ、もし百万円の借金抱えちゃった!って連絡がきた時のことを考えようか。キミは、そのお金を払ってあげられる?」
「もちろん無理です」
「じゃあ、それ以外でできることはある?」
「ううん、その時の経済状況にもよるけど、一万円くらいなら出せるかも」
「おっ、がんばったね」
「千円かも」
「あはは、それは正直だ。他にできることはない?」
「友達がこんなことに困ってるみたい、なんかいい方法を知ってる人はいませんかって聞いてみるとか」
「それもいいね。もしかしたら、詐欺だったことが分かって払わなくてよくなるかもしれない。他には?」
「友達にカンパを頼んだり、なんか稼げる企画を考えたり、まずは落ち着けるように、借金を抱えてよかった点を考えたり」
「そうそう、いいね。『何でも言って』は自分一人で全てのことを解決する責任を負うことじゃないだろう。その言葉だけでも、安心を感じるもんだからさ。
 どっかに頼っていい存在があるんだってだけで、人は十分がんばれるんだ。それでももし、大変なことが起きたら、今みたいにできることはいくらでもあるだろう。
 誰かが頑張っていることを他の人に伝えること。役に立ちそうな人や情報をつなぐこと。
 応援の仕方なんて、いくらでもある。
 自分ができる小さなことを、やればいいんだ」

 私はうなずく。
 自分一人で、他の人のことも抱えなきゃいけなくなるんじゃないかと思って、怖かった。
 怖かったから、自分には言えない言葉だった。

「怖いと思うのは、自分の力はここまでだって限界を決めちゃっているってことなんだよ。ここまでしかできない、それ以上はできない。
 でもね、できるんだ。
 本当はもっとできるんだよ。 
 一人の力なんて、たかがしててる。
 でも、百人で足元の石を蹴るくらいのことをしたら、 世界はぜんぜん変わるはずだろう。
 自分がやりたいことのために、千人に石を蹴ってもらえるようになるんだ。そして自分も、誰かのために一万回、石を蹴るんだ」
その人はそう言って、名刺をくれた。新聞記者で映像の制作もしていると言っていた。

「困ったことがあったら、なんでも言っておいで」

 ラストシーンのアル・パチーノのように、彼はそう言った。

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みじんことオーマ
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