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12月の最終日「静的な日々」

 今年も残すところあとわずか。四月の終わりから書き始めたこの王木ダイアリーも、これで五十九本目となった。なんと中途半端な数だろうか。話題としては、娘のことが多かっただろうか。数えていないから正確ではないけれど、八割くらいか。仕事のことは書きづらいし、小説のことは、あえてあまり書かないようにしていた。それを除いても、書くことというか、書けること、書きたいなと思えることは、大体が娘のことだった。これは日記で、日々の記録だ。憶えていたいこと、あとで思い出したいことは何か、と考えた結果でもある。多分ね。

 クリスマス前日の夜、娘へのクリスマスプレゼントを準備した。今年のプレゼントは、アナ雪のドレッサーとキッズコスメセット的なもの。夜な夜な、トイザらスから送られてきたそのドレッサーを組み立てた。娘とのクリスマスは三回目だけれど、物心がついてから(なのか?)では初めてだ。最初は赤ん坊だったし、去年もあまり理解はしていなかっただろう。今年は「良い子にしていないとサンタさんからプレゼントもらえないよ」と言って効果があるくらいは、娘も理解していたと思う。プレゼントの置き場所は妻と相談して、枕元ではなくて、ツリーの下にすることにした。一緒に見ていたアニメやら動画やらで、そっちの方が娘の印象に残っているらしかったからだ。

 前日、娘は寝る前にツリーの下に、サンタさんへのお手紙とお菓子を置いていた。まだ字は書けないけれど、ちょっと前に行ったレストランで、サンタさん用のポストカードをもらっていた。それにクレヨンで絵なのか字なのか、何かメッセージが書いてあった。それらをそっと回収して、組み立てたドレッサーとコスメセットを置いた。

 当日の朝、寝室の襖を開けてプレゼントを目にし、娘が息を飲むのが判った。ハッキリと音が聞こえたわけではないけれど、息を飲む音が聞こえたように、それが判った。小さいけれどハッキリと感嘆の声も聞こえた。娘の瞳は、まっすぐに、ただまっすぐに、じっと、僕らが用意したプレゼントに向けられていた。

 妻に促されて、ドレッサーの椅子に娘が座る。まだ少し椅子が高いので「うまくすわれないなぁ」とはにかみながら、鏡に映る自分の顔を見つめていた。鏡に映る娘の顔は、控えめだけれど、とても嬉しそうだった。初めて見る顔だったけれど、人は嬉しいとき、そういう顔になることを、なぜだかずっと以前から知っているような気持ちになった。僕もとても嬉しかった。妻はリアクションが薄いことが、少し残念だったようだけれど、そんなことはない。とても嬉しそうだった。というか、そもそも寝起きなのだ。子供といえど、寝起きでそんなハイテンションになれるはずもない。西川のりおじゃないのだ。

 このときの様子を妻が動画に収めてくれていた。妻には悪いけれど、僕は自分の目で、それを見れたことに、少し得をしたような気でいる。でも、そのときの動画は、すでに何十回も見返している。その度に涙ぐんでいる。実は、その朝も感極まっていた。はっきりと、しっかりと、生きていて良かった、と思った。単純だし、親バカだし、客観的にみたら滑稽かもしれないけれど、本当にそう思った。何者にもなれなかったけれど、この子の父親になれた。それが本当に、とても嬉しかった。

 繰り返しの毎日で、ここからここまでと範囲の決まったような生活。そんな日々だけれど、それだけで良い。それだけが良い。

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