見出し画像

不本意な形で家事をしている人の気持ちを考えて欲しい

2014.夏頃、Facebookで高校時代の友人達が遊びに行くという約束の書き込みを知って、確認したら断られた悲しい出来事があって、その日に実母の買い物の付き合いを不本意にさせられたということを話したら、

#毒親 のお手伝い偉い偉いw

という馬鹿にされたコメントに不快感を抱いた。

昔から毒親育ちの私を知っている友人のひとりは家事をせずに遊びに行っている様子であり、自分のことをそっちのけにして付き合っているだけでも辛い気持ちを理解されない悔しさを今でも覚えている。

それに関連することをいくつか書こう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

開演前の出待ちで感じたこと

2003年頃に昼開演の演歌歌手のコンサートでいい席を確保するまで早朝から出待ちをしていた歌仲間が沢山いたことを知った私は、

どうせ家事のひとつでもしなければ毒親に怒られるのも無理なく、次回からは出かけられなくなる

という気持ちで家事をこなして出かけたことから、

自分達が楽したいから奥さんや子供さんに丸投げしたんだろう

という疑問視をした。

同居家族の束縛を嫌がって遊び回るということが理解出来、厳格な両親の禁止によって自由にできなかった遊び下手な私にしては羨ましい限りだ。

彼らに共通していえることは

本物の歌手と生で触れ合いたい

という自己満足から出たものであり、現実逃避していることが理解できる。

感情を優先した彼らとは正反対であった私は

集合時間に遅れても義務感で行なっている家事を優先している苦痛

を知らないと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰にも認められない家事の辛さ

学校時代からずっと家の手伝いを当たり前のようにこなしている私に対して、自死した親友と会う度に、

仕事と家事を両立していてよく頑張っているね

とよく言われていた。

本来だったら家事をせずにすぐ出かけるというスタイルの方が多いと思うが、普通の人からすれば、困難であると言いたいところだ。

#家事ハラ で悩まされている者にしては、結婚しても責任感がないと思われぬようにしていただけなのに、親友は当時面識がなかった彼女のお母様から、

毒親の支配下で家事と仕事の両立している私を見習え

と叱責されたことを自虐的に語ったことがあった。

完全に #昭和脳 である実母の背中を見て育った私は、在職中で同様なことををこなすのは困難であると理解しており、食洗機や炊飯器等の便利なものがなしの状態ではついていけないハンデを乗り越えなくてはならないという現実であることを知ってほしいと生前に伝えたかったぐらいだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Facebookの褒め言葉とwに対するコメントの件

SNSの『w」はいくら親しい間柄でも馬鹿にされた感じであると感じる理由で使用することを避けていることから、前述の契機から

他人の不幸を喜ぶのと同然の意味

と取られた。

失業中の現在は体調不良の実父の世話や家事の繰り上げによって友人達のようには出来ないジレンマがあり、

家事・育児及び介護等で行動範囲を制限されている人達の苦悩

を出産経験無しの私でも理解できた。

コメントをした友人は毎週末に自分が好きな登山を存分に楽しんでおり、

一度しかない人生を楽しまなくちゃ

という考えで楽しめる神経が羨ましい。

毒親の影響で遊び下手であると評された者にしては、

家事全般を甘く見ており、自らを犠牲にして家族のために時間を捧げる辛さを理解していない

という不理解な思考でいじられるのはごめんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

23年間の社会人生活で認められるような仕事を経験しなかったが、家事中心の生活になっても社会的に認められない悲しさを実感しており、昔でいう

結婚したら墓場行きだ

という嘆きが身に染みている。

欲望を犠牲にした家事の取り組み方は #介護 並みのハードさを感じたことから

#底辺 呼ばわりされた悲しさ

を無視した接し方をする人達とは付き合いたくない。






只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。