友人グループの整理をしていて思ったこと
多忙で出来なかったスマホの整理を久しぶりにしたら、友達がたくさんいても、SMSでフォローリクエストしても拒否というか、反応がなく、憤っていた時期があった。
出会った当時は同じグループにいても、一言も会話を交わしてくれなかったことが多く、
同じ仲良しグループにいるのだから一言でもいいから話してほしいという苛立ちがあった。
女性の人間関係は、表面上で一緒に行動する人物の人数で判断することが多いため、小学校時代から初職まで、自分から友達を作ることない受け身型であることや団体行動の件で注意されることがあった。
特に小学校を卒業する時に、帰り道が同じ方向であるものの、中学が別々になってしまったことを機に、
#いじめ 被害を救ってくれた友達に甘えずに自分から友達を作るうにならなくてはならない
という言葉を受けてから、
交友関係に関することの圧力を受け、敏感になってきた。
彼女達と再会するまでに、友人関係で成長した姿を見せたく、相手の嗜好を考えずに接した部分があった。
しかも、私と同じ思考の人がいなく、友達が皆無であることを自覚しており、
せっかく関係が築けた友達に対し、 #ぼっち になりたくないが為に一方的に自分の嗜好を高歌放吟していた部分があった。
又、同じグループにいても一言も話しかけてくれない友達がいても、無理に合わせていた部分があったものの、
内心、不自然であると感じたことがあった。
それが初職に入社当時の上司が、ぼっち状態となった私に詰り寄って、
心理的に窮屈であるということを態度で取ったが、社会人になってもそのような機会が増える為に適応しなければならないことを指摘された。
しかも、
苦手な人と会話していだ姿を見て、表面上で対応しただけで「友達」てあるという誤った教え方をされたということを言われても、自然に出来なければ見做さないというスタンスを取っていることを理解されていない。
その当時の上司や先輩達に教えられたことは
本心を偽った演技をして、表面上のみの関係を円滑に築くことであった。
それが発展した近年、 #人脈 作りで貰った名刺や #Facebook 等のSNSのフォロー数の数で心の支えとしていることが多々あることから、
リアルでまともな面識がなければ意味がない
という言葉を頂戴されたことがある。
失業してから仕事関係者をはじめ、両親によって関係を絶たれた友人・知人らといった
#絆 を失い、 #SNEP にされ、孤独となってしまっただけでなく、それを機に離れていった者もおり、孤独になってしまった。
失業をはじめとする人生に関わることを話したとしても、親身になってくれないという現実を知り、
改めて脆い人間関係だったということを実感した。
音信不通だけでなく、相手側から拒否をされても許してくれるという期待をしても無駄だったということから、
真の人間関係ではない
ということであると見なし、その気持ちを込めて、Facebookを辞め、一度フォローリクエストした友達のフォローを解除した。
基本的に私から声をかけても拒否をされたら、
相手の要望に応えて、潔く諦めるというスタンスを取る
が、在職中のいじめ被害や #毒親 トラブル で逃げ場がないほどの情緒不安定になった状態でグイグイ接したことを後悔しており、
人間関係に圧力をかけた人の言葉を鵜呑みにしてしまい、嫌われているという意思表示を理解出来なかったら私がバカだった。