ドイツ遠征を振り返って 12
何事も過ぎればいい思い出…ではあるのだが、GymMotionツアーのキツさ、過酷さは、強調してもしすぎることはない。選手たちに同行するだけの、何もしていない私ですら「キツい」と思ったのだから、毎日演技をする選手たちは相当キツかったに違いない。
特に団体選手たちは、毎日長縄と団体の演技を10日間連続で行うという、ちょっと普通ではあり得ないようなスケジュールだった。それも同じ場所で10日連続ではなく、ドイツを端から端まで横断するツアーである。総移動距離は、3,100kmを超えたらしい。日本の最北端の択捉島から最南端の沖ノ鳥島までが約3,000kmというから、日本列島の長さをゆうに超える距離を、毎日ショーをしながらバス移動したわけだ。
行く場所、行く場所で大喝采をあびた。こんな辺鄙な場所に客が来るのかと思う場所でも、開演時間が迫ると続々と客が集まった。そしてKokushikanはいつでもショーの目玉だった。団体や長縄だけではなく、個人演技もだ。私は客席付近で撮影することが多かったから、じかに感じるのだ。観客が彼らの演技を、時に大興奮し、時に面白がり、時にうっとりと見つめているのを。
男子新体操は世界に通じる。
これまでに何度も思ったことだ。今回もまた、そう思った。男子新体操は世界に通じる。言葉もなにも要らない。彼らの体と音楽さえあれば、これほどの大観衆を熱狂させることができる。
なにもドイツが「恵まれている」からではない。関係者と話してわかったことは、ドイツでのサッカー人気は凄まじく、体操関係のパフォーマンスでショーを興行的に成功させるのは、決して楽なことではない。寒く凍てつく平日の夜に、人の足を体育館に向けさせることを可能にしたドイツから、日本人が学べることがあるのではないだろうか。
このドイツ遠征のドキュメンタリー映像はこちら。選手達の笑顔、あたたかい拍手と歓声を送ってくれたドイツの観客、共演者達との交流の様子をどうぞご覧ください。
さて、この過酷なドイツ遠征をやり遂げた個々の選手についての所感を書いておきたいと思う。
川東拓斗(かわひがし・たくと)選手 個人/団体 4年
言わずと知れた今年の全日本個人総合チャンピオンであるが、ドイツでは団体選手として演技をした。本当は個人演技も披露したかったのではないかと思うが、団体の中にあって見事なまでに違和感がなかった。1年生の頃は団体選手も兼任していた川東選手だからこそ、かもしれない。
日本ではチームのキャプテンという立場もあってか優等生的な印象が強かったけれども、ドイツでは無邪気な素顔がたくさん垣間見られたように思う。当たり前のようだが、普段は明るい普通の大学生なのである。その彼が、この1年間キャプテンという重責を担って、全日本優勝まで成し遂げた。気をぬく暇もない1年だったことだろう。
川東選手については、「応援!男子新体操」で年末特別スペシャル動画を用意しているので、ぜひ楽しみにしていてほしい。
稲岡逸生(いなおか・いっせい)選手 団体 4年
どうやら私は、稲岡選手のファンとして覚醒してしまったらしい。本番前の練習を撮影し、会場にお客さんが入り始める頃に急いで撮影したものを見返し、動画のスクショを取ってSNSにアップするのが日課だったのだが、気がつくと稲岡選手のスクショがどんどん溜まっていった。
例えばジャンプした時の姿勢や体の伸び、背中の反り具合ひとつ取っても、「ああ綺麗」と思える形をしている。それは私の主観、つまり「好み」にすぎないかもしれないが、新体操を見るファンにとって、「いい」と思える選手が存在することは、大きな喜びである。
ちなみに彼は普段はいつもメガネをかけていて、メガネを外すとぼんやりとしか見えないという。「交差の時も?」と驚いて聞くと、そうだという。「はっきり見えてたら、逆に出来なくなっちゃうかもしれないです」とのこと(!)
どうでもいい情報かもしれないが、稲岡ファンとして一言。
彼が長縄の最後の方でロープをくぐる直前に、仮面ライダーの「変身!」みたいなポーズをするのが密かにツボで、長縄を見る時はいつもその場面で稲岡選手に注目していたのだったが、そのポーズをしてくれる時としてくれない時があることがわかった。本人に「どうしてやらない日があるのか」を聞いてみたかったのだが、聞きそびれてしまった。
馬越太幾(うまこし・だいき)選手 団体 4年
馬越選手ほど、高校と大学でイメージの変わった選手も少ないのではないだろうか。彼は名門井原高校で、まるで妖精みたいなあどけない顔で演技していた小柄な選手だった。色白で、細くて、演技中クルクル回されていた。
大学に入って身長が急に伸びた。顔つきも変わり、もはや「妖精」などと言ったら叱られてしまいそうな堂々たる団体選手である(馬越選手が高校時代と変わらずに持っているものは、脚のラインの美しさだと私は思っている)。
彼が高校時代に演じた演技(2013年団体)が世界中に大拡散されるきっかけを作ってくれたのは、ドイツ在住のサラ・ブラウンさんという人である。Facebookに25万人のフォロワーを持つ新体操サイトを運営するサラさんが井原高校の動画をシェアしてくれたおかげで、実に1,700万回もの再生回数を叩き出し、それが原因となって花園大学のロシア遠征や、青森大学の持舘将貴選手、清水琢巳選手のボストン留学が実現した。
そのサラさんが、わざわざGymMotionの公演を見に来てくれた。馬越君がドイツにいてくれたおかげで、「あの時の井原の選手の一人です」とサラさんに紹介することができた。(もちろん、サラさんは生で見る男子新体操に大喜びしてくれた)
石川裕平(いしかわ・ゆうへい)選手 個人 3年
国士舘の海外遠征に欠かせないのが、この人である。海外という、ある種の非日常においても、けっして自分を見失うことがない。
実に楽しそうにショーをこなし、試合の時以上に濃厚な表現力ある個人演技を披露し、幕が降りれば楽しそうに共演者と交わっている。英語が流暢というわけではないと思うのだが、彼にとっては言語など障壁にはならないらしい。パーティーでも外国人の中に一人残って楽しめるという、日本人には稀な長所を持っているようだ。これは山田監督もそうなのだが、相手がどこの国の人であっても、スッと懐に入っていって相手を信頼させてしまうような、そういう社交性を生まれながらに備えているに違いない。
私は、このツアー中の山田監督の働きを見ながら、「男子新体操界に第二、第三の山田小太郎が出てきてほしい」と思っていた。高い事務能力、折衝能力、通訳不要の英語力、指導力、そして人を信頼させる社交術。中でも、後天的に身につけるのがもっとも難しいのが最後の社交術ではないかと思う。石川選手が将来どのような道に進むのかはわからないが、彼が持つ、特殊能力と言ってもいい資質を活かせる道であればと願う。
水戸舜也(みと・しゅんや)選手 個人 3年
いつも気持ちのよい笑顔を向けてくれる、優しい人である。私は取材者として同行していたので、なるべく選手の邪魔にならぬよう一定の距離を置き、必要以上に話しかけたりしないようにしていたのだが、「撮影ありがとうございました」と言いに来てくれる時の彼の笑顔には気持ちが和んだ。(下の写真は、男子新体操ファンのコートニーさんと)
そういえば、恵庭南高校の同期である森多悠愛選手や中村大雅選手(ともに花園大学)とはロシア遠征に行ったのだが、彼らもまた、優しくて明るい、とびきりの好青年たちであった。もしかしたら恵庭南高校には、なにか特別な、人の性格を良くする物質が発生しているスポットでもあるのかもしれない…(おそらく体育館のそばに)。
水戸選手の成績を振り返ってみると、去年のジャパンは13位。今年はインカレが14位、ジャパンが12位。黄金世代の中にあっても埋もれてしまわないだけの実力はあるのだが、この順位で(あるいは点数で)満足するような選手ではないだろうと思う。いつもよく通る声で仲間を鼓舞している彼はきっと、心の中で自分を叱咤激励しているに違いない。最上級生となる来シーズンの活躍が楽しみな選手の一人である。
吉村龍二(よしむら・りゅうじ)選手 個人 3年
ドイツ遠征で好感度がうなぎのぼりした選手の一人である。とにかく、人がいい。我が家にも同じ年頃の子がいるのだけれども、吉村選手を見ていると、大学生男子ってこんなに素直でかわいいものだっけ?と思ってしまうくらいである。
今回、個人の選手は4種目すべてを演技したのだが、吉村選手はリングを飛ばしてしまうというミスが出た。そのほかの選手は小さなミスはあれど、素人目にはっきりとわかるような大きなミスをした選手はなかった。その結果に、彼は「みんな、すごいなぁ」と呟いていた。
山田監督がドイツ遠征のメンバーに彼を選んだ理由は、まさにそこにあるかもしれない。手具を持たない集団演技や長縄で、あれだけのパフォーマンスができる選手である。スポットライトが自分一人を照らし出し、何千もの観客の目が自分一人を見つめる、今回の個人演技の経験が彼をどのように変えていくのだろうか。黒目がちで切れ長のあの目が、自信に満ちて輝く日が来ることを切望している。
髙橋稜(たかはし・りょう)選手 団体 3年
無事に日本に帰国できて、一番ホッとしていたのが髙橋選手だろう。実は髙橋選手は2年前のアトランタ遠征の時に不運なトラブルにあい、ほかのメンバーよりも帰国が遅れるという経験をしている。海外遠征にトラブルはつきものとはいえ、初めて海外に出た1年生には辛い経験だったと思う。憔悴した顔で「もう海外はこりごりです」と言っていた彼が再び海外遠征に参加すると知った時、「あれがトラウマになってしまわなくて本当によかった」と思った。
今回はトラブルもなく、本来の明るい性格そのままに、楽しそうにタフなスケジュールをこなしていたようで、私はホッと胸をなで下ろした。
線の美しい選手である。今年からA団体で活躍する姿を見られるようになったが、今後は最上級生として団体を牽引していくのだろう。これからもどんどん海外に出て、Kokushikanを世界にアピールしてほしい。
川端勇輝(かわばた・ゆうき)選手 団体 3年
どうやら彼は国士舘の「お笑い担当」のようである。今回のようなハードなスケジュールの中にあって、ユーモアは大事な要素だ。団体の選手達は試合ともなると、絶対にミスの許されない3分の演技にまなじりを決して挑んでいくわけであるが、今回は試合とは違う。長丁場を乗り切る持続力が求められる。
川端選手は体こそ細いが、芯にバネのような弾力性を感じさせる選手である。それは演技だけでなく、普段もそうだ。細いからといってポッキリ折れてしまうわけではなく、ストレスを上手くかわしつつ、人を笑わせながら自身もリラックスして力を抜く方法を知っているかのようだ。
川端選手は、チーム一の美脚の持ち主だと思っている。団体のユニフォームを着ていると、それがイマイチわかりにくい。練習着の時の川端選手の脚の美しさは特筆もので、「6人全員揃いのユニフォームでなければならない」という団体のルールさえなければ、彼一人短パンでもいいんじゃないか…というのは冗談だが、今後出す予定のドイツ遠征ドキュメンタリー映像には練習映像も含む予定なので、ぜひ彼の脚にご注目を。
田中啓介(たなか・けいすけ)選手 個人 2年
遠征前と後とで、とても印象が変わった。もちろん、良い方にである。
田中選手をリアルで初めて見たのは、代々木だったと思う。埼玉栄のキャプテンとしてチームの先頭を歩いていた彼は、遠目からでもやけに目立つ選手だった。当時、私はあまり彼のことを知らなかったが、後から「ああ、あの選手が田中君だったのか」と思ったほど、ただ歩いているだけの彼の姿は印象的だった。
国士舘大学の新入生としての印象は、「練習熱心で先輩のサポートをよくする選手」という感じで、ややクールな印象があった。ところがドイツでは、先輩達に混じって実に楽しそうにしている。(人を笑わせている田中啓介を、皆様は想像できるだろうか?)そして、周囲をよく見て気配りできる人だということも、今回よくわかった。
スポットライトの中でポーズを取る姿が、これほどサマになる選手もいないだろう。顔は、もちろんいい。スタイルもいい。だが顔もスタイルもいい選手は、男子新体操界にたくさんいる。彼にしかないものが、何かあるのだ。男子新体操界に羽生結弦が誕生するとすれば、彼なのかもしれない。
佐々木駿斗(ささき・はやと)選手 団体 2年
「光明相模原に、タンブが強い選手がいる」とファンの間で噂になったことがあった。今から思うと、それが佐々木選手だった。国士舘に1年生として入ってきた時から、堂々たる体躯を持ち、A団体のレギュラーをつとめてきた。下の写真は、ジムラブさんのインスタに掲載された高校生時代の佐々木選手である。
現在の佐々木選手はこちら。
私は佐々木選手を見るたびに思う。もし彫刻家だったら、彼の彫刻を彫りたくなるだろうと。あるいはもし写真家だったら、彼を撮りたくなるだろうと。
実際、Trierという街の会場となったアリーナがGymMotionの動画をアップしていたのだが、団体の映像には佐々木選手のアップが多用されていた。私たちは団体映像を撮る時に、一人一人の選手のアップを撮るようなことはないけれども、海外のカメラマンは佐々木選手を「撮りたい」と感じたに違いない。
遠征の最終日のこと。Bensheimのクリスマスマーケットを散策している時に、佐々木選手が稲岡選手のメガネを借りておどけて写真を撮っていた。その表情がツボに入ってしまい、今でもその時の彼の顔を思い出すと頬が緩んでしまう。普段は控えめであまり話すことがない彼の、意外な一面を見ることができた瞬間だった。
向山蒼斗(むこうやま・あおと)選手 個人 1年
1年生でただ一人のドイツ遠征メンバーである。彼は国士舘ジュニア生え抜きなので、「あおと、あおと」と先輩達に可愛がられ、いじられる弟キャラでもある。国士舘ジュニアは続々と有力選手を男子新体操界に送り出しているが、中でも石川裕平・向山蒼斗・森谷祐夢といった初期からのメンバーがことごとく高校・大学で大活躍していることは、特筆に値する。
向山選手はいずれ日本のトップを狙う逸材には違いないが、おそらく、それまでにいくつかの課題を乗り越える必要に迫られるだろうと思う。これまで、国士舘という環境の中で多くの人の指導を受けながらすくすく伸びてきた彼が、自分で何かをコントロールし、自分を律し、自分で自分を高める方法を模索していく時期がやがて来るのではないだろうか。今のままでも十分魅力的な演技ではあるけれども、「これが向山蒼斗のオリジナルだ」と言えるような演技が、そのうち生まれてくるのではないかと期待している。
山田小太郎監督
山田監督に「ドイツに行きませんか」と声をかけられた時、私は通訳要員としてお声がかかったのだろうと思っていた。しかし山田監督に通訳はまったく不要であった。ショーの運営側スタッフと、何の支障もなくコミュニケーションができる。山田監督の英語は学校で習得したものではなく、若い頃にマレーシアで男子新体操を指導しながら、必要に迫られて習得した英語である。そういった種類の英語力の強さを、私は今回の旅でつくづく実感した。
(宿泊先のホテル。長い移動の末に寝るだけ、ということがほとんどだった。)
ショーの主催者であるハリーさんは、山田監督に全幅の信頼を置いている。「小太郎」という名前は外国人にも発音しやすいらしく、「コタロウ、コタロウ」と山田監督に指示を出す。監督はそれを瞬時に正確に聞き取り、選手を動かす。
日本に山田小太郎がいることが、どれほど幸運なことだったか。
山田監督の若き日々のストーリーを長い長いバス移動の合間に聞きながら、「山田監督が新体操を選んだのではない。新体操が山田監督を選んだのだ」という思いを強くした。
山田監督、そして11人の選手たち。心からお疲れ様でした。そしてありがとう。日本の男子新体操に幸あれ。
(これより下に記事はありません)
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2019年 国士舘ドイツ遠征
2週間(10公演)にわたるドイツ遠征の記事が13本入っています。一部有料の記事がありますが、無料部分だけでもかなりの量があります(ご購入い…
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