楽しい、懐かしい信交会懇親会
6月5日(月)12時から、飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントにおいて、4年振りに信交会懇親会があり参加した。
信交会はみずほフィナンシャルグループのOB・OG会である瑞朋会の部会の一つで、現みずほ信託銀行および旧安田信託銀行のOB・OG会だ。毎年開催していたのだが、コロナ禍で久しぶりの開催だった。
前回までは立食だったが、丸テーブル。同テーブルに入社同期を揃えるスタイルだった。年配の方々が多い会であるから着席がいい。皆さんには概ね好評だったようだ。来年度もこのような形式で開催していただきたい。
2023年3月末現在、信交会は会員数2,318名、平均年齢72.1歳だ。私の年代(70〜74歳)が414名と、会員数が一番多い年代だ。参加者数も179名中34名(同期は9名)とトップだ。95歳以上も15名(参加者は1名)いらっしゃる。
私たちの年代はOB・OG会の中堅どころだ。
私は昭和51年(1976年)に安田信託銀行に入社した。中途退職したのが平成9年(1997年)、まだ安田信託銀行の時だ。21年勤務した。そして、現在は令和5年(2023年)だから、退職して26年が過ぎた。
四季に準えれば、銀行時代の青春は21年、一匹パンダ・ドラえもんの朱夏は26年。
私は銀行では人事部が7年以上と長かったこともあって多くのOB・OGを存じている。お会いして、皆さんそれなりに歳を重ねられた。
特に皆さんサラリーマンだったから、同年代以上の方々は年金生活だ。ほとんどの方が名刺をお持ちではない。悠々自適で生きていける。それだけ銀行の年金は厚いと言うことだ。
私は45歳未満で退職したので企業年金はいただいていない。私の退職時の厚生年金基金の規定は「20年勤続かつ45歳以上」だったからだ。今は45歳以上の条件が外れているようだ。
そんなこともあり、現実問題として、皆さんと違って生活のためにも私は生涯現役を貫かなければならないのだ。
安岡正篤さん曰く、
「我々は何のために仕事をするのか、何のために会社はあるのかといえば、第一に自己の主体性・自立性を練磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって、発達する自己を通じて、何らか世のため人のために尽くさんがためである」
と仰っている。
①生涯に亙り人生修養を続ける。
②自分に与えられた得手を活かす。
③世のため人のために尽くす。
このようにして社会貢献をすることが仕事をする意味なのだ。
その前に「生きていくためお金を稼ぐ」ということがあると言われるが、私は「世のため人のために尽くして生きていけば、自然とお金は付いてくるもの」だと思っている。
しかし、それは甘いことだと多くの人たちに言われることがほとんどだ。
いや、そうではない。私のような外れ者でも「人間として生きる真理」を証明したい、絶対証明できると思っている。
司馬遼太郎は『竜馬がゆく』で、竜馬に語らせている。
「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然に集まってくるさ」
久しぶりに懐かしい同期や先輩・後輩とお会いしてザックバランなお話しができた。そして、私の安田信託銀行での21年は決して無駄ではなかったなと痛感した。
私は東大応援部で、応援漬けの大学生活を送った。人に取り繕うことなく思いをそのままで生きる生活を送って過ごした。多くの先輩方にお世話になりながら応援部生活を送ることができた。その筆頭に8年先輩の井口一弘さんがいらした。
彼は安田信託銀行に勤めていらして、私が就職でフーテンの寅さんをしている時、「安田に来ないか」とお声をかけていただき、それがご縁で決して入らないと思っていた「銀行」に入社したのだ。
それは井口さんが東大応援部時代そのままの人生を生きていらっしゃると私は思った。
そんな生き方ができる安田信託銀行であるなら私も続けられるのではないかと思ったのだ。
また、人事採用のメンバーも私の思いにフィットした。岡田和郎さん、高田克士さん、橋本世紀男さんと、お三方ともそれぞれ個性豊かで、その個性をそのままに生きていらっしゃるように思った。それが入社の切っ掛けだった。
特に、岡田和郎さんには結婚式の仲人をしていただいた。私が仲人をお願いした時、岡田さんは癌を患っていらしたらしい。
奥さんは「主人に『小林さんの将来を思うと、仲人として面倒を見て差し上げることができないのに仲人を引き受けることは小林さんに失礼だ』と申したところ、主人が『それでも小林君の仲人をしたい』と申しました。それで仲人を引き受けました。小林さんには申し訳ないことをしたと思っています」と仰った。
私はその時、岡田さんはそれほど私のことを想っていただいていたのかと思い、涙が止まらなかった。
岡田さんは村田英雄似の人情家だった。岡田さんをはじめ、心温かい人たちに支えられて安田信託銀行を21年間勤めたのだ。
皆さんと話していて、そんなことも懐かしく、思いに耽った1日だった。
私は多くの人たちに支えられて生きている。全ての人生のシーンを思い出す時、「実に、私は運がいい人間だ」と思う。
そして今、第二生でその恩返しをしなければと思う。
実に楽しい、懐かしい信交会の集いだった。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)