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かわいい子には旅をさせよ
12月16日2時過ぎ、中能登町久乃木の民宿"美来里(びっくり)"で目覚める。
七尾の鵜浦海岸で鵜様が捕獲できていれば、16日3時からの氣多大社の鵜祭に参拝することになっていた。気候温暖化と能登半島地震の影響で鵜様の捕獲ができず、今年の鵜祭は来年に持ち越された。
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しかし、丑三つ時(2時〜2時半)に目覚める習慣には逆らえず、この日も2時前に目覚めてblogを書く。外は大粒の雨らしい。雨粒が地面を叩きつける音がする。すぐ止んで、また降り始める。「能登らしい初冬だ。今日も傘が手放せない一日になるのか」そんなことを考えながらblogを書いた。
前日、黄さんが、「能登やまびこの野菜畑を見学しよう」と、能登やまびこの稲葉さんに16日9時からのアポを取った。
まだ、知り合って3〜4ヶ月くらいしか経っていないが、美来里の山田さんのおかみさんとは長年の付き合いであるかのようにザックバランに何でも話すことができる。
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おかみさんにお願いして、息子さんに春木の能登やまびこまで送っていただいた。
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稲葉さんは、一次産業の農業従事者ではない。どうしても一次産業だけに従事していては先が思いやられる。自らが主体となって、二次産業、三次産業の先の六次産業を見据えたビジョンが必要だと考えておられる。
そのために、ひょんなことで知り合ったOUEN Japanとのコラボが、その目的を果たすことができるのではないか。そんなことを考えるビジネスパーソンである。
稲葉さんの"農業に対する思い入れ"は半端ではない。私も中能登町が唯一、能登半島で海のない町であり、"里山を売りにして、中能登町を表舞台に出していきたい"と思うようになった。ビジネスには疎い人間であるが、人と人との有機的つながりをつくり、そのサポートをするという私なりのビジネスセンスは持っていると思っている。
二人とも人生を前向きに生きる人であり、人を大切にする人でもある。気性はあっている。積極的に、中能登町や能登半島のためのコラボを展開したい。
道の駅での打ち合わせが終わって、4人で七尾行きの乗り合いバスに乗る。七尾まで運賃は1人500円。私たち4人の他に乗客は一人か二人。これじゃ北陸バスもやってられない。
七尾行きは、"七尾フィッシャマンズワーフ能登食彩市場"で海の幸を堪能しようと思ったからだ。
私が大好物の香箱蟹を買った。身を出した蟹身は割高だ。足が10本揃っている蟹も高い。
香箱蟹はズワイ蟹のメスで小振り。売りは内子と外子。香箱の足は付け足しのようなもの。足の取れた香箱は、一皿3尾で1000円だった。二皿買った。イカとタコとはちめ(メバルのこと、能登ではメバルのことをはちめと呼ぶ)を買って、4人してつついて、海の幸を堪能する。
この日の宿泊は、みおやの里から徒歩10分くらいの古民家民宿"喜屋(よろこびや)"だ。
おかみさん(辻屋舞子さん)は埼玉から移住して来られた30代後半の女性だ。ご主人は転勤族で、今は茨城県で単身赴任なのだと。お子さんは男の子二人。中能登町の鹿島小学校に通っている。
「なんでまた中能登町に移住して来られたの?」
ご主人は、私と同様、都会に憧れて能登を離れたのだとか。辻屋さんはご主人のふるさとである能登を気に入って、初代の地域おこし協力隊になって、5年前に古民家を取得して民宿を始めたのだと。
[つじやんの三つの事]
にぎやかに親子が営む小さなふれあい民泊
移住者による移住サポート
身体に優しい食事作り
子どもたちも、町に溶け込んで素直に育っている。「学校は面白い」と。みおやの在所の人たちとも、田舎らしい"みんなが家族"と言うか、家族ぐるみのお付き合いをしている。
これが嫌で田舎を出ていったり、田舎に住むのは御免被るという人もいるが、彼女はそれが気に入っている。
子どもたちも自然とそんな気持ちになっている。ご主人も、「歳を取ったらふるさと能登に帰ってこようか」と思うようになってきたのだとか。
とにもかくにも、主導はおかみさんだ。女は強い。
喜屋は、お客さんを一日一組しか受け付けない。アットホームな”家族のような雰囲気”でおもてなししたいのだと。
そんなことで、夕食のあと、辻屋さんは、1時間以上に亙って、能登のこと、能登への思い、子どもとの接し方、周りの人たち、ママ友たちのと接し方等々、話してくださった。
能登生まれでない人たちが、外から能登を見て、能登に魅力を感じている。黄さんもその一人だ。
私も半世紀能登から離れていて、能登がふるさとと言うこともあるが、能登半島地震があって、改めて能登を見る時、それは外から目線で能登を見ている自分がいることに気づく。”外から目線で能登を見る”、それが能登の魅力を発見できた理由の一つなのだろう。
能登に生まれた若者たちも、一度は都会での生活をしたいと都会に憧れる。それはそれでいい。そのほうが能登のことを客観的に見ることができる。そして、能登の魅力を見つけることができる。
"かわいい子には旅をさせよ"という諺がある。
能登の若者にも旅をさせて、能登を見つめ直す機会を与えることで、素直に能登を再発見することができるのだろう。
今日は”曇天、ときどき雨の一日”だったが、外を歩いている時はほとんど雨に降られなかった。
リュックに荷物を詰め過ぎたせいで、リュックののファスナーが壊れてしまった。黄さんは、喜屋でペンチをお借りして、いとも簡単に直してくれた(持つべきものは、心正しく、心優しく、そして能力も一際秀でているパートナーだ)。
私の人生も100歳まで30年を切った。
中盤を過ぎて、そろそろ最終コーナーに差し掛かってきた。
ゲゲゲの女房ではないが、”終わりよければ全てよし”。そんな実りある白秋の人生を送りたいものだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)