瓢箪(ひょうたん)から駒が出る
「瓢箪(ひょうたん)から駒が出る」という諺がある。
ネットで繰ると、以下のように書いてある。
「思いもよらないところから、予想もしていなかったものが出ることのたとえ」「ありえないことのたとえ」「冗談で言ったことが実現することのたとえ」を意味する。
この「駒」は馬のことを指しており、ひょうたんの中から馬が出てくることから、想像もできないことが起こったときや、ありえない冗談のつもりで言ったことが実現してしまったときなどに使う。
この「瓢箪から駒が出る」の「ありえないこと」は、Webで人とのコミュニケーションをしてもなかなか出くわさない。
リアルのコミュニケーションの中で、半ば脱線気味の冗談や、想いの丈を身振り手振りで話すなかで、話し相手がそれに敏感に反応して、話が想定外に展開していく時に、間々、「瓢箪から駒」のような「予想もしていなかった」話になることがあるのだ。
すなわち、「瓢箪から駒が出る」とは、
①人とのリアルなコミュニケーションをすること。それも、ビジネスライクを超えた、「人間らしい情を伴った人間関係が構築される」中で、出てくるものだ。
②絶えず、「自分に与えられたミッション」を追求していて、日々、その具現化のための行動をしている中で、出てくるものだ。
それが、漠然とした想いの状態(白黒)から、「色付き」の想いになり、さらにその色付きが「総天然色」になるまで、頭の中の空想から現実味を帯びた事実一歩手前になっていることだ。
私は、この2つが揃った時だろうと思う。
そして、それをさらに一層現実味あるものにするには、
③描く想いが「世のため人のためという大義」である必要がある。これは絶対要件だ。
何故か?
そのわけは、「類は友を呼ぶ」諺にあるように、その人の周りに集まってきてくれる人は同じ想いの人たちだからだ。
自分だけが良かれと思う「邪な心を持った人」が集まってこないようにしなければならない。そのために、心を清くして、高く「大義を掲げる」ことで、あまり信頼ができない人たちは、自然と集まってこないようになるものだ。
邪な心を持った人たちは、「オレがオレがの烏合の衆」であり、成るものも成らなくなってしまう。
『オレがオレがの我を抑え、おかげおかげの下で生きよ』
その点、今週の3泊4日の九州福岡出張は実に充実した出張だった。
福岡は九州地方の中核都市だ。すなわち、福岡は、九州では「日本の東京」のような立ち位置を占めている「花の福岡」だ。
そして、豊かな文化、地方色も豊かで濃い。海の幸も抜群に美味しい。住民の皆さんは人情に厚く、温かい心根の人が多い。
言わば、「地方の別格大本山」というところか。
九州の他の6県は、それぞれ個性があって、単独でも、自らの力で依って立つところがあるが、この6県を纏め上げて「一つの九州」として、さらに一層、磨きを懸けているのが、その中核ニを担っている福岡ではないだろうか。
私は10年来、月に3〜4日は福岡でOUEN Japanのボランティア活動をしていたので、観光客の観点というよりも、住民サイド、準福岡県民・準福岡市民として、そのことを強く、自分ごととして実感している。
アンナの【Floraビジネス】と、私のOUEN活動⇒【OUEN塾】のコラボレーションを考える。
その他に、このコラボレーションに共創するビジネスがあれば、それもこの輪の中に加えよう。
輪は大きく拡がり、皆んなが「和」となって、 Win Win Winの好循環になって拡がっていく。
その梃子は、女性活躍だ。
女性活躍を梃子として、地域創生を考えるのだ。九州の女性パワーが新生福岡、および新生九州を創っていく。
そして、学生たちや地元企業の皆さん、九州以外のOUEN Companyの皆さんとともに、肩組みあって、九州の地域創生に貢献しようと思う。
私は、あくまでも黒子に徹して、その"花の応援団長"になろう。
そんなことを考えながら、福岡の人たちにお会いしていると、ポンポンポンと「瓢箪から駒」が飛び出してくるのだ。
これからは、その具体化の作業に入ろう。そして、厚かましいくらい、人さまのお力をお借りすることだ。その蝶番役が私の役割だ。
これから、もっと頻繁に、福岡に出張することになるだろう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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