人を愛し、大切にして生きる(敬天愛人)
9月19日(木)。中能登町役場にて、企業版ふるさと納税の受納式が執り行われる。中能登町へ寄付をしていただいた企業は、13社のOUEN Companyの方々だ。
1社は寄付申し出期限を過ぎてからの申し出だったので、受納式には参加しないが、私たちと同行して中能登町に出向く。古民家に興味があり、中能登町を応援したいと思ってくれている会社だ。
この1社を加えて、合計14社になった。
私が中能登町(旧鹿西町)出身で、"町のために"、"能登のために"、何かできないかと思う。私のその想いを受けて、14社のOUEN Companyの皆さんが中能登町にご寄付してくださったのだ。何とありがたいことだろうか。
私はふるさとの中能登町を応援したいと思う。その私を応援しようと、OUEN Companyの皆さんが応援してくださる。これは"応援というキャッチボール"だ。
私はいつも思う。"応援とはキャッチボール"だと。
応援していただいたら、応援して差し上げる。好球を投げていただいたら好球を投げ返す。そのキャッチボールが皆んなを幸せにする。応援とは"幸せのキューピッド"だ。
柳生家は、人の縁の大切さについて実に的を得た家訓を残している。
その家訓を心に留めることで、その家訓は温かい人脈(人と人のつながり)をつくってくれている。
そして、私の"温かい人脈"がどんどん拡がって留まるところを知らない。想いは現実となって現れてくるのだ。
[柳生家の家訓]
小才は、縁に会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす
私の人脈の拡がりは、"袖振り合う縁を生かしてきたおかげ"である。しかし、それで満足することなく、生涯に亙り、真の大才になるために、生涯に亙り、さまざまな人さまとのご縁を大切しにしていきたいと思う。
ある人のことを考える。その人は生涯の友として付き合っていきたい人である。
その人とのご縁は、ある人からの紹介だった。その紹介してくれた人とは、あるビジネスで知り合った人だった。そのビジネスで関わった会社は泣かず飛ばすで、トップも私には魅力ある経営者とは思えなかった。私は何でこんな会社と関わったのだろう、関わらなかったら無駄な時間を費やさなかったのにと思うこともあった。
しかし、そうではない。そのつまらないことに関わったことで、それがご縁で、生涯の友に出会うことができたのだ。
父母のことを思う。祖父母のことを思う。曽祖父母は私が産まれる前に鬼籍に入っていた。
遡って人類誕生の時からの祖先がいて、今の私がいる。誰が欠けても今の私は存在しない。
それは突き詰めれば、生物誕生の時まで遡る。
世の中で起きる全てのことは奇跡であり、偶然であると思うが、それは全て必然なのだ。必然であると思うと、身に起こる全てのことは、私を幸せにしてくれる宝物に変わる。
"苦は楽の種"、"苦は磨き砂"、"順境よし、逆境なをよし"と思う。
人が幸せになるということは、その人の"心の持ちよう"ただ一つなのだと思わずにはいられない。
世の中には、良い人も、悪い人もいる。いや、悪い人はいない。心が弱くて、悪の道に染まってしまう人がいるだけだ。人は、全て性善の人であり、多かれ少なかれ性が弱い性弱な人なのだ。
だから、全ての人と等距離で付き合うことはできないし、すべきでもない。
そのためには、人を見極める目を養うことだ。人間は完璧ではないから、足らずのところや凹んだところを、それを見極めることができる"信頼できる人にお任せする"ことが必要だろう。
そのような人に出会うためには、人を見る目を養って、人を大切にすることが不可欠と思う。
私のこれからの第二の生のミッションは、日本の過疎地の先端を行く、ふるさとの"能登半島を過疎地のモデルの地域にする"ことだ。このことは、能登に留まることではない。
日本国中はこれから時間差はあってもいずれは過疎地になっていくのだから、その過疎地を元気で生き生きした理想郷にしていかなければ、人は幸せにはならないのだ。
だから、その先端を行く能登から日本全国に目指すモデルのありようを発信していくことをしていきたいと思う。
長丁場になる。あと30年はかかるかもしれない。その時、私は100歳を超える。それまで元気に頑張っていこう。
[敬天愛人]
道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也(南洲翁遺訓)
そのために、人を愛し大切にしていこう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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