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第二生のミッションは"能登創再生の応援"

10月2日、中能登町役場において"地方創生アドバイザー"の委嘱交付式が執り行われることになった。3月から、副団長とともに毎月2泊3日で中能登町を訪れ、町の現状と課題に耳を傾け、その解決の一助となるべく、私はない知恵を絞り、副団長はある知恵を絞り、そのサポートをしていただけるだろうOUEN Companyの皆さんにご来町いただいてお話しを進めることをしていた。

9月で半年を超すことになることもあり、中能登町としては、"地方創生アドバイザー"を委嘱することで、OUEN Japanの応援に一層拍車をかけてほしいとの思いがあってのことだ。ありがたく受託したい。

鹿西(ろくせい)中学校を15歳で卒業し、金沢市で下宿をして、金沢大学附属高校に通学した。中能登には、洗濯物を持って月に2度の頻度で帰っていた。高校は金沢市の郊外の野田山の麓にあり、金沢駅まではバスで30分はかかる。金沢から七尾線で能登部(実家の最寄駅)まで1時間強かかるが、待ち時間を入れると、実家⇄高校の通学時間は2時間半はかかった。
高校では部(柔道部)活にはあまり熱心ではなかったが、部活以外(応援団や劇団「星」)の活動に首を突っ込んでいたこと、東大を目指していた(受験勉強)こともあり、実家からの通学は無理だと判断した。能登出身の生徒は皆、高校から徒歩で通学できるところに下宿していた。奥能登出身の生徒は勿論のこと、中能登の生徒も誰も実家から通学している生徒は誰もいなかった。
私は高校まで徒歩10分くらいの、寺院が多くある寺町の硲順松さんのお宅にお世話になった。

東大〜安田信託銀行では、毎年盆と正月の年2回帰省したくらいで、中能登町は私には縁遠い町になっていた。その他、祖母と父の葬式くらいしか帰っていなかった。OUEN塾in金沢/石川の立ち上げでも活動の中心は金沢と加賀地方であり、能登地方はせいぜい七尾線特急で七尾に行くくらいで、中能登町は通過だけの親不孝者だった。

中能登町地方創生アドバイザーに就任し、中能登町は古民家(御祖の里)を貸与してくださる。半世紀以上、56年振りに月に10日〜2週間は中能登町に住むことになる(副団長他、OUEN Japanの仲間たちも交代で住む)。
私は、"ふるさとの川に帰った鮭"の気持ちだ。

この地方創生アドバイザーで、私の人生のステージが大きく変わった。ステップアップした。ありがたいことだと思っている。

[二地域居住(二拠点居住)とは?]

2つの生活拠点を持つ、新しいライフスタイルのこと。

ある一つの地域に定住したり、ある地域から完全に生活拠点を移すのではなく、都会と地方、地方と地方とを軽やかに行き来しながら、ひとつの拠点で培った技術や経験、知識、人脈を別の地域で活かす新しい暮らし方です。

「二つの」という意味の英単語「デュアル」を使って、「デュアルライフ」と呼ばれることもあります。

[二地域居住が注目される背景]

ワーク&ライフスタイルの多様化

テクノロジーが進歩したことで、パソコン一台あれば場所を問わずに働けるようになりました。

その結果、「テレワーク」や「ワーケーション」を実践する企業、事業主も増え、より自由なワークスタイルを求めて地方に拠点を増やす動きが加速しています。

それと同時に、特に若い世代の間で、世間一般の価値観よりも自分自身の価値観や充足感、幸福感を大切にする動きが見られ、一人ひとりが叶えたいと望むライフスタイルが多様化しています。

[政府による推進政策]

人口減少が進む地方への定住人口や関係人口の増加、地域社会の担い手確保、地方創生の好機にもなりうるとして、国も「二地域居住」の促進に力を入れ始めました。

特に2019年から順次施行が始まった「働き方改革」で労働への意識改革が進んだことや、2021年3月に国土交通省が二地域居住等の普及促進や機運向上を目的に「全国二地域居住等促進協議会」を設立し、新しい働き方を推進し始めたことで、地方移住や二地域居住への機運が高まっています。

[二地域居住の推進]

多様な価値・魅力を持ち、持続可能な地域の形成を目指すためには、地域づくりの担い手となる人材の確保を図る必要があります。 しかし、国全体で人口が減少する中、すべての地域で「定住人口」を増やすことはできません。そこでこれからは、都市住民が農山漁村などの地域にも同時に生活拠点を持つ「二地域居住」などの多様なライフスタイルの視点を持ち、地域への人の誘致・移動を図ることが必要となります。  国土交通省では、「二地域居住」の推進を図るための情報発信等を行っております。


上記のように、国土交通省は、"二地域居住"を推進している。
私の"地方創生アドバイザー"は結果的に二地域居住になるものだ。
当初から私が望んでいたことではないが、成り行きで、いや天の思し召しで、半世紀振りにふるさと能登に住むことになる。
「お前の第二生のミッションは、能登の創生再生のために尽くすことだ」天は告げているのだと思う。

中能登町地方創生アドバイザーは中能登町のみの地方創生を目指すものではない。中能登町が活性化するためには七尾市、羽咋市を含めた中能登地域の自治体を超えた広域の地方創生、邑知地溝帯(鹿西平野)の活性化を目指さなければならない。そのため、中能登町地方創生アドバイザーとして七尾市や羽咋市や志賀町にも出向くことをして行こう。奥能登や富山県氷見市にも足を伸ばそうと思う。

休日には、中能登町を観光の町にするべく、雨ノ宮古墳群、石動山、碁石ケ峰、不動滝等の中能登の観光地を散策しよう。半世紀振りだ。

9月19日、企業版ふるさと納税の寄付をしていただくOUEN Companyの皆さんに中能登町役場にご来庁いただいて、受納式を執り行なうことになった。10社くらいを考えていたが、15社くらいになりそうだ。
これがご縁で中能登町とOUEN Companyの皆さんがWin Winの関係になることを目指している。

私は、能登の創生・再生のためには、ボランティア≒ビジネスでなければ、10〜20年の長期間の応援は続かないと思っている。
今、『渋沢栄一と論語と算盤』〜日本は真の資本主義を忘れている。今こそ、日本人に一番必要な人物と教え。〜(齋藤孝著、フォレスト出版刊)を再読しているが、論語≒算盤でなければ、地方創生は成功しないと思う。
私は、それを能登で現実にしていきたいと思っている。

やっと、ふるさと能登の川に鮭が戻ってきたのだ。東京と能登を行ったり来たりして、一番輝く"白秋の人生"を謳歌したいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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