見出し画像

「いしかわ観光特使」に就任する

昨日、石川県観光戦略推進部から、「いしかわ観光特使」の就任決定の連絡が届いた。深く感謝するものである。任期は、来年の令和6年4月1日から4年間だ。
今まで以上に、石川県に帰る機会は増えるだろう。

今は、私には"ふるさと石川"には帰る家はないが、ふるさとへの想いは深いものがある。

私は、昭和46年(西暦1971年)3月に石川県を離れた。
ふるさとであるから定期的に帰っていたが、父が亡くなり、自宅も処分して母を東京に引き取ってからは、帰る回数はメッキリ減少した。
平成26年にOUEN Japan を設立し、福岡県に続き、石川県でもOUEN塾をスタートさせようと思ってからは、年に5〜6回は石川県には出張しただろうか。

そしてらコロナ禍も収まってきて、新たなスタイルでブラッシュアップした[OUEN塾in金沢/石川]を再スタートさせたいと思っている。

OUEN Japan は、石川県に学ぶ学生たちや石川県に本支店がある企業の皆さんの応援団だが、それは"ふるさと石川"の地域創生のための応援団になることを目指している。
そのための切り口として、"女性の応援団"として、OUEN Japan は「女性活躍が地域を元気にする」ことを高く掲げて、石川県を応援していきたいと思う。

そのためにも、「いしかわ観光特使」への就任は、「石川の地域創生」の応援団長になる幸先のいい出来事になった。

10月19日に久しぶりに金沢に出張する。北陸新幹線"かがやき"で東京から2時間半だ。
私が学生の頃は、夜行列車の"越前"や"能登"で、寝台車両に乗ることもなく、8時間を掛けて能登に帰省したものだ。
東海道新幹線で米原まで行って、北陸本線に乗り換えて5時間掛けて金沢まで帰ることもあった。
いずれにしても、往時とは隔世の感がある。

ふと、石川県が産んだ詩人"室生犀星"の「小景異情」を思い起こす。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

室生犀星

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

[小景異情]  室生犀星

白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしほらしさぞよ
そとにひる餉げをしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しば啼けり

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり

わが霊のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の涙せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮しのやすらかさ
けふも母ぢやに叱られて
すもものしたに身をよせぬ

あんずよ
花着け
地ぞ早やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?