第二生はダブルの人生を生きる
中能登町瀬戸の"KIMONALLBASE瀬戸花見月"を訪ね、義父の大島紬をお預けしてリメイクをお願いした。義父と私はほぼ身の丈は同じであったが、着用して多少の採寸をしていただいた。
「しっかりとリメイクさせていただきます」
「よろしくお願いします」
[OUEN Japan 信念会]で着る。できあがるのが楽しみだ。
加えて、いつも、[OUEN Japan 信念会]の司会をお願いしている安藤裕美さん(日欧フーズ副社長。西櫻亭および大安くらぶを経営)にも、当日は振袖を着て司会をしてほしいと思った。
黄副団長が「これは裕美ちゃんに似合う」と思う振袖を試着していただいて、その写真を裕美ちゃんにLINEしてお願いした。すぐ彼女から快諾のお返事をいただいた。
できれば、裕美ちゃんに中能登町に来ていただき、彼女の一番好みの和服を選んでいただきたいと思う。
超多忙な人であるので、私の都合に合わせてほしいとは言えない。彼女のご都合に私が合わせることになる。
自分がお願いしたいことがあれば、相手の都合を優先する。それに自分が合わせる。このことは至極当然のことだ。
これをできない人が何と多いことか。何事も自分自分と自己中の人生だと幸せにはならない。
そんなに自分が大切ならば、相手のことを考えることを習慣にすることだ。それが回り回って自分に返ってくる。
人生を幸せに生きる一番の近道は、相手の都合を第一にして生きる恕の心を持つことなのだ。
私の第二生は、生前葬を行なった古稀からスタートした。想い先行で、成り行き任せの第二生のスタートだった。相変わらず、七転八倒・紆余曲折のスタートだったが、2年を過ぎて漸く、まだまだアバウトだが、少しずつ、朧げながら白黒から天然色に、目指す第二生が見えてきた。そして、その第二生は東京と能登のダブルの人生になる。
一般的な二拠点居住とは、半分半分で住処を分けて生活することだ。
身体は一つしかないから、月のうち半分は東京、半分は能登ということになるが、それでは面白くないと思う。
そこで、私の二拠点居住は、いつも東京、いつも能登というのが一番いい。
100歳まで生きるとして、70歳ならあと30年だ。そうではない。東京で30年、能登で30年、合わせて60年の人生を生きることを目指したい。そして、それは私の場合可能のような気がする。
「小林さん、いついつはどちらにいらっしゃいますか。その時、伺ってお目にかかりたいのですが。東京ですか、それとも能登ですか」と聞かれたとき、私は「私は、東京にも能登にもいるんです。どちらにいらしていただけますか」と返事をする。相手からは「では、東京にお邪魔します」か「では、能登にお邪魔します」と返答があるだろう。
どちらでも私は対応できるような人生を生きていきたいと思う。
それは、私が言うところの第一生と第二生とは違う。それは、70歳までが第一生で、それ以降が第二生と言うものだ。
そうではなくて、今私が目指す第二生の生き方は、"第二生をダブルで生きる"と言うことだ。東京で30年、能登で30年、合わせて60年。100歳まで生きても、あと30年ではなく、合わせてあと60年生きることになる。
ダブルカウントでダブルな幸せと言うことだ。そんな人生は最高の幸せな人生ではないか。
これは考え方次第でそう生きることができるということだけではなく、実際のところ、そのようにリアルに生きると言うことだ。素晴らしいではないか。
ふと、そんなことを思い、真夜中に目覚めた。そして、それから、このblogを書き終えて、もう一回一寝入りだ。
私の第二生はダブルの人生を生きる。是非、これを現実にしよう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)