無理をしないで、一所懸命に生きる
稲盛和夫さんの箴言に、『垂直登攀で挑む』がある。
人生や仕事においてどんな困難な山も、安易に妥協することなく、垂直に登り続けていくことが大切だ。強い意志を持って、一歩一歩地道な努力を日々継続する人は、いくら険しい道のりであろうとも、いつか必ず人生の頂点に立つことができるに違いない。
何事をするにも成功に至るには、「安易に妥協しない」ことは真実である。私も若い時はその教えに則って、『垂直登攀で挑む』人生を生きてきた。
しかし、古稀を過ぎた今、体力的にはその衰えを実感し、現実問題として、垂直登攀の生き方では第二生を長く全うすることは難しいと自覚するようになった。
これは、「人生を妥協して生きる」ということではない。
垂直登攀して、できることもできなくなってしまっては、何のために垂直登攀するのか、それは本末転倒ではないのかと思うのだ。
垂直登攀は人生の歩き方であって、あくまでも何かを成す手段だ。垂直登攀すること自体が目的ではない。
人生の目的は、"幸せになること"であり、その幸せとは、"世のため人のために生きること"である。
何でもかんでも垂直登攀して、命を縮めてしまっては、世のため人のために生きることができなくなる。それは本末転倒であると言わざるを得ない。
イチローさんも大谷選手に、「無理ができるうちは無理をしなさい」と言ったそうな。
イチローさんが言わんとしたことは、「人間は、いつか身体が衰えて無理ができなくなる時が来る。だから、無理ができるうちは無理をすることだ」と言うことだろう。
齢71になって、私が目指す生き方は、「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) を踰(こ)えず」(論語為政篇)だ。すなわち、自己の行動に真の自由を得ることであり、欲望のままに動いても、人間の法則を踰えないという境地に達することが理想である。
しかし、現実は、身体的には無理ができなくなってくる。無理ができなくなったという現実を素直に受け止めて、それをカヴァーするために、真っ直ぐな大望を忘れることなく、その心に従って、今までの経験を生かし、人さまのお力をお借りしながら、大望を果たしていくということではないか。
それが、「心の欲するところに従えども、矩を踰えず」ということではないかと思う。
無理をしないで、できないことは人さまのお力をお借りして、大望を果たす。その人と人との蝶番役が私の相応しい役目である。
昨日は、ある人をお連れしてある人をお訪ねした。いわゆる、"ビジネスマッチング"だ。
目的はセッティングにより、ビジネスが成約に至ることだが、それだけでない。"瓢箪から駒"で、いろいろなことを教えられた。やはり、リアルでなければそのような気づきは得ることができない。
私の場合、圧倒的なウェイトでリアルで生きているところがあるので、特にそう思うのだろう。
勿論、時間を有効に使うためにはWebは役に立つ。リアルをカヴァーする補完的な役割としてのWebだということだ。補完的なWebがあることでリアルはコスパが高くなる。
[思いつくまま]
・友だちの友だちは皆友だち。伝染する熱い心
・瓢箪から駒
・自分の弱みを人の強みで埋めて、丸い球形にする。それがフラットな理想の組織だ。
・汝自身を知れ。
・来る者は拒まず、去る者は追わず。
・ビジネス成功の要諦は素直な心を持つことだ。
・意味ある情報はオープンなマインドに飛び込んでくる。
・弱みを曝け出す勇気を持つ。
・何事も知ったかぶりをしない。
・無理はよそうぜ、身体に悪い。
・アヒルの水掻きを忘れない。コツコツコツコツな地道な生き方が成功につながる。
・義理と人情の世界で生きる。
・義理が廃れば この世は闇だ。義理が重たいのが人間の世界だ。
・恩に報いる人生を送る。
・まずは自分から。いただいたご恩は倍返し、三倍返しでお返しする。
・ビジネスライクでないビジネスが、長続きするほんまもののビジネスになる。
・人生は死ぬまで修行だ。修行を楽しむ心を持つ。
・継続は力なり。
・苦は楽の種、苦は磨き砂
・豚も煽てりゃ木に登る。煽られて木に登ろう。
・原点に帰ろう。そして、原点から新たな人生を始めよう。
・人生は、二期作ではなく二毛作だ。第一の人生とは真逆な人生を送ってみよう。
・争いは悪だ。平和を志向しよう。
・涙は心を美しくする。
・モーレツからプラチナへ
・ホワイトからプラチナへ
・生きがいある、楽しく生きる"プラチナの人生"を生きよう。
改めて、こんなことを思い、感じた一日だった。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)