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古稀を過ぎた人生の生き方 #2
私は中学と高校でも応援団に関わっていた。
この時代の応援団は、運動会や他校との対抗戦がある時スポット的に組成されたもので、大学の(プロの)応援団とは全く一線を画している。
また、私が若い頃の大学応援団はエセ右翼のイメージが強く、一般人には近付き難い存在と思われていたところがある。
私が大学に入学した昭和46年は大学紛争が収まりかけていた時代だった。
大学紛争の煽りで、東大応援部はそのようなイメージのせいもあったのだろうか、エセ右翼集団で芸術は志向することができないと思ったのだろう。ブラスバンドの部員はほとんど全員が退部して新しい吹奏楽団を創った。そんなことで、東大応援部は廃部の危機を迎えていた時代だった。
私は、「人生意気に感ず」の思いで東大応援部に入部して、『応援の真髄』を追求、追究しようと思ったのだ。
応援とは何か。
応援部は黒子に徹せよ。あくまでも主役はプレイヤーだ。
東大応援部の3Sスピリッツ
1.サービス(奉仕)
2.サクリファイス(自己犠牲)
3.スタディ(学問、学び)
応援部の後輩たちと酒を酌み交わし、応援とは何か、東京六大学野球において圧倒的点差で敗けていてもなぜ「勝つぞ、勝つぞ、東大」と絶叫するのか。そんなことで野球を勝たせることができるのか。
まさに『応援哲学』を追求、追究していたのだ。
それは人生哲学でもある。応援哲学は人生哲学に通じる。
社会人になって、濁世に塗れながら、ピュアに生きていこうとする時、大学時代の「応援哲学」は「人生哲学」を極めていくベースになった。応援哲学は、天風哲学、松下哲学、稲盛哲学に通じる。
援けに応える=応援
人のために尽くす=応援
人のためは自分のため
まずは人のために尽くすこと、それが自分のためになる。
自利利他→忘己利他(もうこりた)
OUENJapanの3Sスピリッツ
1.サービス→社会貢献
2.サクリファイス→活私奉公
3.スタディ→人生修養
古稀は従心とも言われる。
七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず(論語為政篇)
70歳になって、自分の思い通りに生きても人の道を外すことがなくなった。
70歳はもう若くはない。若者と対抗して「彼らに負けてたまるか」と意気がって生きる歳ではない。
彼らと心を通じて、彼らのパートナーになることだ。彼らのパッションに加え、自分が持っていて、彼らが持ち合わせていないものを彼らに惜しげなく提供することだ。
その得手を磨き続けて、彼らをサポートし続けることだ。
もっと人間、素直になることだ。汝自身を知ることだ。
古稀からの第二の生は、そんな生き方が幸せな人生を生きることになる。まさにその生き方が孔子が言う「心の欲する所に従えども矩をこえない=従心」の生き方なのだと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)