美女と坊さんの関西行脚
久しぶりの関西出張だ。
「美女と坊さん」珍道中の第1回関西版だ。
伺ったのは、私がお世話になっている企業ばかりだったが、お世話になっている先ほど、「ど厚かましく」なんだかんだお願いできるものだ。
その理由は、お世話になった分、私はその倍返し、3倍返しをしようと思い、私はそれができると思うからだ。倍返し、3倍返しができないと思うと、そんなに「ど厚かましく」はなれない。
これからの第二の人生、如何に多くの「ど厚かましく」お願いできる先を増やしていくか、それが多いほど私の存在価値は高まる。私の人生は楽しくなる。幸せになる。
それくらい「自尊心が高く」ないと、人と人とをつなぐビジネス&ボランティアはできないと思うし、そのサポートは長続きしない。
こちらのお願いごとであるにも関わらず、ある会社は私の愛娘(のように可愛がっている裕美ちゃん)が経営する西櫻亭(京都伊勢丹)で、ランチをご馳走していただいた。Floraビジネスの前向きご検討のお土産付きだ。
また、梅田の不動産会社では前向きなご検討をいただくだけではなく、何社かをご紹介いただくお約束までいただいた。
さらに、3社目は、プレゼンのあと、行きつけのおばんざい屋で会食をセッティングいただいて、ザックバランな雰囲気で、ご馳走に預かった。
皆んな、心温かい人たちばかりだ。ありがたいことだ。
それに、加えてとても嬉しいことがあった。
私が行きの新幹線で、被っている帽子を、帽子掛けに掛けたままにして新幹線に忘れてきたのだ。
京都駅のトイレの鏡で身姿を見て、丸坊主の頭のまま、帽子を被っていないことを知り、新幹線車内に置き忘れたことに気がついた。
仕方がないと諦めていたのだが、ランチの時に、そのことを藤竹さんに話したところ、彼女は、「団長、東京発何時の新幹線でしたか。何号車でしたか。前の方でしたか。後ろでしたか」と聞いてくれた。
そして、夕方の会食の時、彼女から、「そのような帽子があったので、団長の事務所に送ってもらうようにしました」と電話をもらったのだ。
お金の問題ではない。そこまでしてくれる気持ちの問題だ。ありがたい。10倍返しをしても足りないほどの感動だ。
人の心のありがたさを感じたひと時だった。
アンナは、私の「温かいネットワーク」にいつも驚いているが、東京のみならず、アンナの地元である関西においても、皆さんには、東京と同様な対応をしていただいたことに、とてもびっくりして、喜んでいることだろう。
凡人とは、凸凹人間のことだ。得手もあれば不得手もある。しかし、たとえ凡人であっても、その心根が、純粋で、美しければ、それぞれの凹んだところをお互いがカヴァーし合うことで、凹凸は丸い球形になって、そのチームは完璧のオールラウンダーにも対抗できる。
そしてさらに、そのチームのメンバーたちは切磋琢磨しあって、一層人間性を磨いていく。
私は、いつもアンナに、そんなことを言っている。それを、彼女は素直に聞いてくれる。
アンナは26歳という若さでありながら、人間性を含め、全てに亙って天才的な能力を持っているスーパーウーマンだと思う。彼女は私のメンターであるが、そんな人でも一人でできることは微々たるものだろう。
夢を果たすためには、信頼できる、心温かく、誰に負けない情熱がある人たちの力を借りることをしなければ、それは見果てぬ夢に終わってしまうことだろう。
この私は、一介の老骨の凡人ではあるが、私にしかできない「ど厚かましくも、人の心を掴む」という能力を、天から授かっていると自負している。
その能力を、アンナに惜しげなく提供したいと思う。
現代はダイバーシティの時代だ。
人種や性別の区別なく、信頼できる人たちの力を借りることだ。
また、老若男女の「老」の力を発揮するのは、この私の役目だ。私しかできないと思う。それくらいの自負を持って、全身全霊でサポートすることだ。
それで、その戦士軍団は、丸く、美しい球形になっていく。
もう若くないから無理は利かない。だから、自分自身を知り尽くし、自分の得手を磨いて、それをフルに活かすことで、人のために尽くす。
若ぶって気張っても、無理をしているからそんなことは長続きしない。長続きしないと人のお役には立てなくなる。
大阪本町から御堂筋線で新大阪へ。19時39分、ほろ酔い気分で新幹線に乗る。
新大阪→東京の乗車時間は、2時間強。blogを書くにはちょうどいい時間だ。新幹線は走る書斎というところだ。
こんなところもblogの効用ということか。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)