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"七朋の集い"を終えて思う

11月30日(土)、"七朋の集い"を東京大学駒場生協食堂にて、開催した。七大学のOB・OGの他、応援を愛する皆さんにも集まっていただいた。東大グループでは明治大学と立教大学の応援団OB・OG有志にもご参加いただいた。総勢87名。

七朋会は、初めは、国立七大学(旧帝大)の応援団(部)の私たち昭和50年3月に卒団(部)した同期の同期会だった。私たちが幹部になった時の12月の集まり(京都)で話が出たから、1973年だ。1974年夏に東京で七大戦(国立七大学総合体育大会)があり、その時、正式に発足した。
それから満50年、半世紀が経った。
発足したと言っても、私たちが五十路になるまでは、全く活動はしていなかった。ただ、私と東北大学の木島さん、京都大学の松井さんの3人で毎年定期的に会って、飲んで旧交を温めていただけだった。
五十路になって、誰が言うこともなく、「七朋会で集まろうか」と言うことになって、後輩たちも入れて、たしか10名くらいだったか、12月に表参道のビルの屋上で集まったのが第1回だった。
途中コロナ禍があったりして中断を余儀なくされたが、今回で16回になる。
それが先輩も巻き込み、後輩は少しずつ下に拡がり、OUEN Japan の仲間たちも加わって、昨今は100名前後の参加者になっている。

国立七大学は、毎年夏に七大学で総合体育大会を開催している。主管校は毎年持ち周りで、今年は名古屋、来年は札幌だ。
応援団はたった1週間ほどの短期間で応援合戦を繰り広げる。最後の夜に皆んなが集まって懇親会を催す。たったそれだけの付き合いなのだが、その付き合いが半世紀に亙って続いているのだ。ちょっとこんなことはないだろう。それは"応援"と言う言葉が繋いでくれている。
応援の意味は、その名の通り、"援けに応える"ということだ。すなわち、人のために尽くすと言う利他の精神だ。その精神でつながっている。特に、七大学は年に7日の織姫彦星のようなものだ。そんな短い付き合いで友情がずっと続いている。不思議と思うが不思議ではない。その理由は、思いが人間をつくるからだ。同じ思いを持った人たちは短時日でも心が通じ合う。


明るく、溌剌とした、元気な社会をつくる。これからの人口減少社会、少子高齢化社会は避けることができない。高度成長で日本は伸びてきた。今日よりも明日は給料が増える。生活はリッチになる。人口が、増えて町に活気が出てくる。こんなことが当たり前の社会だった。地球に人類が誕生して、ある時は停滞した時代はあったものの、上り坂をトボトボ歩いていくか、登り坂を駆け上がって登っていくか、いずれにせよ上昇することが当たり前の社会だった。これからは、それとは真逆の下り坂の社会である。しかし、気持ちはそうであってはいけない。人口減少社会、少子高齢化社会を、老若男女の皆んなして、明るく、溌剌とした、元気な社会につくっていかなければならない。

そのためには、発想の転換が不可欠だ。今までの当たり前はこれからの当たり前ではない。全てゼロから見直すことだ。既成概念をぶち壊すことだ。

しかし、決して争ってはいけない。強かに、健かに、稲盛和夫さんが仰る「今はできなくても、未来にはできるだろう」と思って、それを果たそうと思い行動する"未来進行形の発想"を持つことだ。
第二次世界大戦の時、イギリスのチャーチル首相が言ったという「ネバー・ネバー・ネバー・ギブアップ」だ。絶対諦めないことだ。

年に一回の七朋の集いは、そんな人間たちの友情を温めてくれる。勇気を奮い立たせてくれる。
ビジネスの集まりではない。しかし、ビジネスのベースにハートが不可欠であるから、何かがあるとその集まりは自然体でビジネスになっていく。世にある異業種交流会ではないのだ。
ハートがある、思いがある、心がある、温かい、熱い集団なのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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