人生の友、心の友、それを"朋友"という
71年の我が人生を振り返ると、友を求め続けた人生だったと思う。
相田みつをさんは、「ひとりになりたい ひとりはさびしい」という箴言を残していらっしゃるが、ふと一人になりたいことがある。そして、一人になってみると一人は寂しいと思う。切にそう思う。そんなことの繰り返しが人生だ。
幼少の頃から、そんなことの繰り返しだった。特に、中学校を卒業し、能登を離れ、金沢で下宿するようになってからは、そんな思いが一際募った。
学業の傍らに仲間を募って劇団「星」を立ち上げ、文化祭や予餞会で、当時スポ根もので流行っていた「巨人の星」や寸劇「王将」を実演した(いずれも私は主役を演じさせてもらった。「巨人の星」では星飛雄馬、「王将」では阪田三吉だ)。温かい心の友だちが欲しかったのだ。
大学では、ボディビル&ウェイトリフティング部に入部したが、オタクの雰囲気に嫌気がさし、2年から応援部に転部した。
応援部は理不尽なところもあったが、応援部らしい人間くささ、温かさが何とも言えず、応援漬けの大学生活を送った。その応援活動を経て多くの友人たちができた。
朋友と言う言葉がある。
ポンユー(朋友、péngyou)は日本では外来語に分類できる語で、「友人・友達」を意味する中国語が語源である。「ポン友」(ポンゆう)とも表記される。
昭和期前半頃まで会話で「あいつは俺のポンユーだ」等とよく使われた語である。しかし近年は高齢者にしか通じない。
そう言えば、若い頃、ポンユーと言う言葉が流行っていたような気がする。私も"ラオポンユー(老朋友)"と言う言葉を多用していた頃があった。それは遠い昔のことだ。
朋友は友だちと言う意味だが、その友だちの中でも、私には親友→心友のニュアンスがある。友だちの中でも、人生の友だち、心の友だちのイメージだ。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや(論語・学而)
朋友の一人に木島明博君がいる。木島君は元東北大学応援団団長、私とは国立七大学応援団の同期だ。
彼に初めて会ったのは、たしか私が大学2年生の時だったろうか。東大本郷の東大正門前で待ち合わせをして、彼の北区駒込の実家にお邪魔して、国立七大学応援団についてじっくりと話したことをよく覚えている。その時は19歳だったから、それから半世紀以上が経つ。
それまでの東大は、あまり七大戦(国立七大学体育大会)には熱心ではなかった。
✴︎国立七大学とは、北から、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧制七帝国大学のこと
七大戦は、毎年主管校が代わり、持ち周りで夏に主幹校がそれぞれの本拠地で体育大会を開催するイベントだ。
東大応援部は東京六大学野球の応援がメインであり、七大戦にはあまり熱が入っていなかった。他の国立六大学にしてみれば面白くない。東大は、応援は東京六大学野球だ。田舎の大学とは付き合ってはいられない。極端な言い方かもしれないがそんなところがあった。東大のいやらしいところだ。
しかし、私が幹部(4年生)になる時は東大が主管校になる。そんな失礼なことはできない。
木島君は、「私たち同期が準幹部(3年生)の時は東北大学(仙台)で開催される。東大は部員全員が仙台に来て、他の国立六大学応援団と交流する必要があるのではないか」と、そんな話だった。
木島君とはそれからの付き合いだ。会った時から、なぜか馬が合うところがあって、すぐに"肝胆相照らす仲"になった。「七大学応援団同窓会を創ろうじゃないか」と言い出したのも、そのネーミングを[七朋会]にしようと言ったのも木島君だった。
そして、50歳を過ぎてから、それまで名ばかりだった七朋会を、年に一度開催するようになった。この時に中心になって頑張ってくれたのは、京都大学応援団団長だった、今は亡き松井真君だった(私たち3人はそれまで30年に亙り、何か事があると会って飲んでいた)。
七朋会は昭和50年卒の応援団の同期会だったが、会を重ねる毎に、後輩たちも巻き込んで、それに先輩たちも入ってきて、今まで続いている。
そして、今年は七朋会のホームページをつくるまでになった。
また、個人的なことだが、三男は木島君と同じ名前だ。
私たち夫婦は三番目は女の子だと思っていて、私は郁恵(榊原郁恵さんの明るく元気なキャラが好きだった)、妻は優子にしようと思っていた。そんなことで、男の子の名前は全く考えていなかった。
長男も次男も私の名前の「博」を付けた。三男は木島君の「明」をいただいて、「明博」にしようとすぐに決めた。妻もすぐ賛同した。
木島君とはそんな"老朋友"の仲なのだ。
["類は友を呼ぶ"とは?]
"類は友を呼ぶ"とは、「同じような考え方や趣味を持った人が自然と集まって仲間を作る」という意味のことわざです。近年では、略して「類友(るいとも)」と言われることもあります。
[良くも悪くも捉えられる本来の意味]
親しい友人や仲間を思い浮かべると、自分と何か共通していると感じる部分はありませんか?
"類は友を呼ぶ"ということわざの通り、実際にお互いに共感できるものや通じる何かがあるからこそ親しくなっていることもあるのです。
たとえば、いつも明るく前向きな人の周りには、同じようにポジティブな人が集まります。一方で、普段から不平不満が多かったり人の悪口を言ったりする人の周りには、やはり同じようなタイプの人が集まります。つまり"類は友を呼ぶ"は、必ずしも良い意味で使われるわけではありません。「良くも悪くも自分に似た人が自然と集まってくる」ということなのです。
私にとって、"朋友"とは応援団の仲間たちだけではない。私が接する老若男女全ての人たち、心が通じ合う全ての人たち、人生を応援し合う全ての人たちが朋友なのだ。
私は、そんな朋友たちに支えられて生きている。これからも生きていく。そして、朋友はどんどん増えていく。
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に(森信三)
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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