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濁世に染まらない「孤高の第二生」を生きる

『至誠』は、最も政治家が好む言葉だそうな。

「ほんとにそうなのか」

そうであってほしい。西郷隆盛のような「至誠一貫の政治家」の登場を切に願う。

至誠にして動かざる者は、未だ之有らざるなり(吉田松陰が愛した言葉。孟子)
至誠天に通ず(内田魯庵)
至誠通神
至誠一貫
知恵があっても、学があっても、至誠と実行がなければ、事は成らない(二宮尊徳)
天は正義に与し、神は至誠に感ず
(東郷平八郎)
至誠に悖るなかりしか(海軍五省)

人間は、「純な心」を持ってこの世に生まれてくる。
しかし、濁世に浸かり生きていると、その純な心はだんだん濁に染まっていく。
それを人は、「大人になる」と言うのだろうか。

いや、そうではないだろう。

蓮は泥より出でて、決して泥に染まらない。
仏像の台座にもなっている蓮は、仏教において特別で神聖な花だ。
泥水から生まれながらも、すくっと真っ直ぐに伸び、高貴な花を咲かせる蓮。咲いた花は泥には染まらず、清浄に満ちている。
きれいな水ではなく、むしろ泥水の養分を吸ってこそ、大輪の花が咲くのだそうだ。
その姿から、お釈迦さまは、"泥(困難や悲しみ)があればこそ、そこから立ち上がったあとには、清らかな大輪の花(人生)があるのだ”と説いた。

私は、銀行人事部で7年3ヶ月に亙り採用(新卒、中途、障害者)に携わったが、その中でも大学4年生を対象とする新卒採用では、大学生たちに、「至誠」「純な心で生きること」「濁世に染まらず生きること」「濁世に浸かりながら、濁世に染まらず、純な心で生きることで、人間は大きく成長する」「人生如何に生きるべきか」について、彼らと語り合ったものだ。
如何に青臭いと思われようが、それが私の採用活動をする存念だった。
彼らと飲んで語り合う中で、意気投合し、その中の何人かは銀行に入社してくれた。
私は、そんな彼らに、「濁世に染まらない『絹のハンカチ』になってほしい」と思った。

そして、人生70年を生きてきて、その想いは以前にも増して、強固なものになっている。その生き方は、私の「応援哲学」だ。

白鳥は 哀しからずや
空の青 海のあをにも
染まず ただよふ
(若山牧水)

私は、この短歌を確か中学生のおり、国語の教科書で知った。
本来の短歌の意味とは違うが、私の想い(感性)は、哀しくてもそんな白鳥のような孤高な人間になりたいものだと思ったことを忘れない。
そして今、そんな白鳥は、決して哀しい存在ではないと確信している。

それは、矛盾のようで矛盾ではない。そんな生き方をする人間こそが、真に強く、逞しい、「人間らしい人間」なんだと思う。

「滅私奉公」ならぬ、フルに自らを活かすことによって公に尽くす『活私奉公』の生き方が、真の奉公なのではないかと思う。

矛盾のようで矛盾ではない生き方、蓮の花のような純な生き方、濁世に染まりながらも、純で、孤高の心を持って生きる生き方。それは決して孤独ではない。志の高い孤高の人生なのだ。
人と和し、人を大切にし、人の幸せを願い、人の幸せのために生きる。

「活私奉公」「自利利他」から、「忘己利他(もうこりた)」の極みへアウフヘーベンする。それが私の「応援哲学」である。

魂を磨き続ける。この世で霊魂を磨き続けて、その霊魂は、次の世に生まれ変わって生きていく。

大いなる道というもの
世にあるを思ふこころは
いまだも消えず
(下村湖人)

そんな「孤高の第二生」を、生きていきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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