自分ごとにするために、中能登町に月に2週間滞在する
昨日(11月21日)午前に、再度、中能登町春木にある農事組合法人「能登やまびこ」を訪れた。
同法人は、石川県の冬を代表する正月料理である”かぶら寿司”のかぶらを栽培している。理事の稲葉清弘さんにご案内いただき、かぶらや中島菜の栽培現場を見学した。
かぶら寿司は、かぶらに切り込みを入れてブリを挟んで発酵させたなれずし。
金沢の冬季を代表する料理の一つであり、正月料理とされる。独特のコク味や乳酸発酵による香りがあり、酒の肴としても知名度が高い。
平成20年に安全・安心を基軸として、組合法人を設立しました。当初より水稲のエコ栽培に取り組み、個人への販売に関しては地元はもとより、中京関西方面へ販売しています。また数年前より、玄米を持ち運びに適した20Kg袋中心としており、大変好評を得ています。また畑作物は能登金糸瓜を個人・JAへの出荷、青かぶらも同様の形態で作付け・出荷しています。また少量ではありますが、法蓮草・水菜・春菊を道の駅等で販売しています。
能登やまびこは春木生産組合が平成17年に行った集落農業の担い手、オーディションによって選ばれた地域の農業・農村を担う農業集団です。生みの親の生産組合はもとより自治法人の春木区や春木地区の農村・環境を守り、育てる組織のはるき美土里協議会と連携しながら営農を行なっております。地域に認められ愛される農業集団であり続けるために、その栽培も地域の理解と協力を得ながら行なっております。
稲葉さんは、農業のプロ中のプロだと思う。石川県庁職員として、長く農業に関わってこられた。
自然と隣り合わせの厳しい環境で、創意工夫をして安全で安心な野菜を育てていらっしゃる。その一家言ある、ざっくばらんな、人懐っこい語り口は、まさに農業の哲学者だ。
私はこのようなポリシーを持った哲学者に強烈に人としての魅力を感じる。
私が幼少のころ、農業は”三ちゃん農業”だった。すなわち、農業では食べていかれないので、働き手だった男性が出稼ぎに出たり、サラリーマンになったりして、老年男性と老年女性と主婦のいわゆる”じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん”の三ちゃんが農業を営んでいた。
中能登町でも専業農家はごく少なかった。町で数件もなかったのではないか。それもポリシーを持って農業を営むというのではなく、広い農地を相続したから専業で生活のために働く。
私が親しくしていた友人の家は、ご両親はいずれも教員だったが、田圃も耕作していた。いわゆる兼業農家だった。そのような家がほとんどだったような気がする。私は、「これでは、日本の農業は先がないな」と思ったものだ。
そんな中能登町に、このような農事組合法人があるとは、日本の農業の先行きは暗くない。
OUEN Japan 信念会でも、かぶら寿司だけではなく、やまびこの米や中島菜の他、中能登独自の農産物をアピールしていただきたい。
午後は、中能登町行政サービス庁舎で、生活環境課、農林課、長寿福祉課、震災復興対策室の幹部の皆さんと情報交換をした。
中能登町は水が豊富だ。近隣の七尾市や羽咋市は手取川からの県水を利用しているが、中能登町は何本かの井戸で飲料水や工業用水を賄っている。
OUEN Japan のネットワークで、大量の水を使う工場を連れてきてくれないかとのご要望をいただいた。
早速、OUEN Japan のネットワークを駆使してみよう。
震災は奥能登地域の被災状況が甚大だった。中能登町は地震での死者はゼロだった。そのこともあって、ニュースでは能登半島の被害状況を放送しても、中能登町以外の市町のことが圧倒的だ。
震災復興対策室から中能登町の被災状況をお聞きし、被災の写真を見せていただいたが、私はその被災状況に驚きを禁じ得なかった。
どうしても被災が甚大な奥能登に注目が集まるが、それは致し方ないことだが、中能登町も同様に悲惨な状況なのだ。
私は3月から中能登町に来ていても、そのような認識は持つことができなかった。改めて、「OUEN Japan が何をしなければならないのか」と認識を新たにした。
見たり聞いたりして、少しづつ中能登町のことが分かってくる。
やはり、月に2泊3日では他人事になってしまう。自分ごとにするためにも、月に2週間の滞在は不可欠に思う。その意思を固くした1日だった。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)