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健全な精神は、健全な肉体に宿る

人と人の出逢いは"奇跡"だ。また、真逆のようだが、それは"必然"でもある。

自分がこの世に世を享けたことを考える。
Wikipediaで、"受精"を繰ってみる。

[ヒトの受精]

射精一度あたりの精液が含む精子数は通常1億〜4億程であるが、このうち、腟内に射精された場合、子宮頸部に到達する前に約99%が死滅し、子宮まで到達できるのはおよそ数千〜数十万、排卵期に卵子の目前まで到達できるのはおよそ数十〜数百である。

その数十〜数百の内の一つが卵子と受精する。1億〜4億分の1の確率で1人の人間がこの世に生を享けるのだ。当然、両親も祖父母も曽祖父母も、人類がこの世に誕生して以来、その奇跡の連続だ。
究極的には、この宇宙が誕生して現在に至り、未来永劫に成長発展していくという現実は"奇跡"と言わずして何と表現できるだろうか。

他方、この現実は必然であるとも言うことができるだろう。
"因果応報"、"善因善果"、"悪因悪果"と言う言葉がある。
人間が現実に起こることを突き詰めて考えると、人間業では及びもつかないことばかりであるのに、善いことをしていればいつかは善いことが身に起こってくるし、その逆も散見される。
それは、この世の何処かにサムシンググレートがいて、そのように仕向けているとしか考えられない。深く考えれば考えるほどそのように思うしかない。これは"必然"なのだ。

人間のレベルでは"奇跡"であるが、サムシンググレートから見るとそれは"必然"ということなのだ。

人との出逢いは、袖振り合うご縁だ。そのご縁をありがたく思って、良きご縁を善きご縁にすることだ。運命は、自らの努力精進で善き方向に変えることができるのだ。人との出逢いという(どちらにもなる)運命を、努力精進で善き運命にしていくことだ。

昨日は、午前に新宿のサンデンタルクリニックで小山悠子理事長の歯の定期検診があった。私の人生の後半戦はあと30〜50年であるなら、歯は命なんだから、日々のメンテナンスを怠らないことだ。それで、同い年の美人先生に診てもらっている。小山先生もあと30年はお付き合いしてくださると言う。
受診の前に、OUEN信念会の話をする。先生からは、経営者として半世紀、働く女性を見てきてその変わりように驚いていると。男性は弱くなった、優しくなったと言うのが本当かもしれないと。しかし、欧米とは20年は遅れていると。
そんな話を10分ほどする。それから50分の定期検診だ。私はうとうと仮眠している。こんな主治医がいてくれることは、私にはこの上ない幸せなことだ。

午後は、たまプラーザの横浜たまプラーザ運動器スポーツクリニックで五十肩の診察とリハビリだ。
このクリニックは小山先生にご紹介いただいた。彼女もご自宅のそばにあるこのクリニックを利用している。仕事柄、肩腰のメンテナンスを怠らない。バレィや合気道にも通っている。年齢を重ねると、心身の健康のためには、心身共、メンテナンスを続けることの大切さを痛感する。
昨日、スポーツクリニックの河﨑院長は、私に、「小山先生からは、『小林さんの五十肩を早く直してあげてくださいね』と言われています」と。ありがたいことだ。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言う箴言がある。 

決して、健全な肉体を持っている全ての人が健全な精神を持っているわけではない。
健全な肉体を使って悪に身を染める人も少なからずいるのが現実ではないか。

この箴言の意味は、「肉体が健全であるほうが、健全な精神を育みやすい」と言うことではないだろうか。

私は健全な精神を持つために、その精神の入れ物である肉体を健全にして、健全な精神を育みやすい環境にしておくことが大切と思うものだ。

何事も精神主義だけでは事は成就しない。私たちが生きている環境を整備することで、健全な精神はより育まれるのだ。
太平洋戦争で日本がアメリカに負けたのは、精神主義一本では勝てないことの証明だ。

まずは、人間の本性である霊魂(魂)の道具である肉体を整備すること、環境を整備すること。そして、その肉体と環境の整備したステージで、目一杯、精神を鍛え抜くことだ。

人は一人ではできることは限られているという宇宙の真理を、素直な心で信じることだ。
そして、不完全な「汝自身を知って」、"恕の心"を持って、人を思い遣ることで、その人に"自らの足らず"を補ってもらうことだ。そして、そのことで成果が出たら、公明正大に利をシェアすることだ。それは、長い人生を考えると最高のコスパになるだろう。

脳科学者の中野信子さんも、著書[新版 科学がつきとめた『運のいい人』]で言っている。

この本の帯には、下記のように書いてある。

運がいいと思っている人も、悪いと思っている人も、遭遇している事象は似ている場合が多いです。
でも、その"事象に対する捉え方、考え方"が違う。"対処の方法"も違う。
長い年月を積み重ねれば、おのずと結果は大きくかわってくるでしょう。

また、私が思う、"足らずを補ってもらうこと"については、今読んでいる、「さあ、才能に目覚めよう」(ストレングス・ファインダー2.0 / ジム・クリフトン、日本経済新聞出版)で書いている。

さあ、才能に目覚めよう

[運命思考](Connectedness)

偶然におこることはひとつもありません。
あなたはそれを確かな感覚として持っています。人々が互いに結びついていると心の底から知っているからです。
確かに人は皆、自分の行動を自分で決めることができる、自由な意志を持った個人の人間です。とはいえ、私たちは何かもっと大きな存在の一部なのです。
ある人はそれを集合的無意識と呼ぶかもしれません。それを魂あるいは生命力と呼ぶ人もいるでしょう。しかし、何と呼ぶかは問題ではありません。

私たちは互いに隔絶されているわけではなく、地球や地球上の生命から切り離されていないと知っていることで、あなたは安心感を得るのです。

この"運命思考"という考え方には、一定の責任感が付随しています。
もし私たちがもっと大きな存在の一部であるなら、人は他人を傷つけてはいけないのです。なぜなら、自らを傷つけることになるからです。
人から搾取してはいけません。なぜなら、結局、自分自身に返ってくることになるからです。

このような責任に対する認識が、あなたの価値体系をつくり上げています。
あなたは思慮深く、思いやりがあり、受容力があります。
人々は皆同じであると確信しているあなたは、異なる文化を持つ人々のあいだで架け橋の役割を果たします。
見えない力を敏感に感じ取り、平凡な日常生活の中に意味があるという安心感を人に与えることができます。
あなたの信念は、あなたの育ちや文化によって決まりますが、それは強固なものです。
理屈では説明できないことに直面したとき、それは、あなたやあなたの親しい友人を支えてくれます。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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