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桃李不言、下自成蹊

中能登町に「鵜様道中の宿(鵜家総本家)」がある。平安時代からの神事である「鵜様道中」は、国指定重要無形民俗文化財「氣多の鵜祭の習俗」の一環であり、毎年12月に七尾市の鵜浦で生け捕りにした鵜を、中能登町〜羽咋市を経由して氣多大社(能登國一宮)まで運ぶ行事である。

その道中の"鵜が泊まる2日目の宿"が、明治10年代に建てられたアズマダチ(大きな瓦屋根を乗せ、正面を東に向けて建てられた)の古民家の「鵜様道中の宿(鵜家総本家)」である。

国重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ、縁結びの大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀る神社で、万葉の歌、大伴家持も参詣した能登一宮。社殿背後には2100年の歴史を伝える氣多大社社叢(天然記念物)「入らずの森」が広がっている。前田利家公とまつが祟敬した国幣大社。

鵜家本家にお生まれになった道端弘子さん(富山市在住)が「鵜様道中の宿保存会」の事務局長をされている。
道端さんには、私が中能登町に帰ったおり、何度かお目にかかっている(私の小学校3年生の担任は鵜家かおる先生だった。穏やかな美人先生だったことをよく覚えている。今はもう故人だ。道端さんのお話しでは、鵜家先生のお宅は鵜家総本家の分家なんだとか)。

《鵜家さんの名字の由来》
能登一宮の気多大社の重要な祭りの一つとして、古来より12月16日未明に「鵜祭」が行われている。その鵜祭に献上される鵜を七尾市鵜浦から気多大社まで運ぶ「鵜様道中」が行われ、鵜が泊まる習わしの家であることから「鵜家」と名付けられた。

鵜家さんという名字は珍しい。ランキングでは全国32,482位とか。全国人数は90人。それも圧倒的に石川県だ。

道端さんは、私のblogをお読みになっていて、私の中能登町と能登への熱い想いを感じられて、私に、「小林さんは、"桃李不言"のような人物になって、能登のために尽くしてください」とお話しになったことがある。
恥ずかしながら、私はこの箴言を知らなかった。そして、ネットで、"桃李不言"を繰ってみた。

桃李不言、下自成蹊
(桃李ものいはざれども、下おのずから蹊を成す)

「小林さんは、これからの残りの人生を懸けて、中能登町のために、能登半島のために尽くしてください」との身にあまる熱いエール・応援歌をいただいたのだ。

成蹊学園の"成蹊"や西濃桃李高等学校の"桃李"は、この"桃李不言、下自成蹊"のフレーズに由来している。

「桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す」
成蹊の名は、『史記』の作者司馬遷が「李将軍列伝」において、李廣の人物を讃えるために引用したことわざ「桃李不言、下自成蹊」に由来しています。
桃や李(すもも)は、ものを言うわけではないが、美しい花を咲かせ、おいしい果実を実らせるため、自然と人が集まり、そこに蹊(こみち)ができる。
桃や李は人徳のある人のたとえで、優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる、という意味です。

「桃李もの言わざれども、下(した)自ずから蹊(みち)を成す」と読む。「西濃桃李校等学校」の「桃李」はこれからとられた。
その意味は、「桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花や良い香りの果実を求めて人が集い、その樹木の下には自然と蹊(みち)ができる」という意味で、司馬遷の史記「李将軍列伝」が出典である。

桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花にひかれて人が集まり、その下には自然に道ができる。徳のある者は弁舌を用いなくても、人はその徳を慕って集まり帰服する。
もう少し簡単に言えば、桃や李は人格者のたとえであって、人格者は黙っていても、その下へ多くの人々が教えを請いに集まってくるという意味である。

現在の風潮を見ると、情報機器と伝達ツールの発達が著しく、誰でも情報を発信できる時代だ。確かに、情報の発信力は個人にとっても重要であるが、フェイクニュースや、ポストトルースの横行が言われるような時代である。この時代を生き抜くためには、情報の真偽を見抜く見識を持つことが必須である。当学ではこうした見識を養うことに加えて、自立した人材に成長させることを主な目標としている。そうした期待を込めて「桃李不言、下自成蹊」を建学の精神としている。

私は今、人生の締めくくりとして、"実りの白秋"を生きている。
そして、ふるさと中能登町(能登半島)が、祖父母が、「ふるさと能登のために尽くせ」と私に語りかけている。

日本国全てが少子高齢化、人口減少社会に突入している。そんな日本の50年先、100年先を見据えた時、「先のことは子どもたちや孫たち、ひ孫たちがその時になったら考えるだろう」と、他人事でいいものだろうか。このまま生暖かいお湯に浸かっている茹でガエルでいいのだろうか。それではもう遅い。
このままでは、日本全体は本当に茹でガエルになってしまう。能登だけのことではないのだ。

今、私たちは何を成すべきなのかを考え、行動に移すべきではないのか。
日本のために考動することが、"私の大義"である。

図らずも、元日に、能登が能登半島地震に見舞われた。さらに、9月には、奥能登が未曾有の大雨に見舞われた。奥能登は、当に踏んだり蹴ったりだ。

中能登地域は、自らのためにも、奥能登地域のためにも、能登半島の復旧・復興、創生・再生のリードオフマンにならなければならない。
日本が茹でガエルにならないように、そのために、能登半島は理想の少子高齢化社会のモデルにならなければならないのだ。

それが、私・小林博重のミッションであり、OUEN Japan のミッションである。

私は、"桃李不言、下自成蹊"のような人格者を目指そう。

私は、多くの心清き人たちが私の周りに集まってきてくださる、そんな"人格者"にならなければならない。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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