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中能登町の応援を整理整頓する

中能登町(および中能登地域)観光開発について、副団長と根津の観光経済新聞社を訪問し、積田社長と大出取締役と打ち合わせをした。

奥能登や七尾の和倉温泉がまだまだ復旧が緒に就いたばかりであるので、OUEN Japanとしては、まず"中能登地域の観光開発"からスタートしていこうと言うことになった。とにかく、能登の観光開発は長期戦になる。

打ち合わせを終えて、地下鉄千代田線で表参道まで帰ってきた。
副団長が、「団長、女性が電車内で化粧をするのをどう思いますか?」との質問。呆れての質問だろう。私たちが座った向かいの席に座っていた女性が化粧をしていたのだ。最近よく見かける光景だ。
化粧は公の場でするものではない。そんな女性は興ざめだ。親の顔が見てみたい。重陽の会のメンバーにはそんな人はいない。東大応援部の女子部員たちにもきっといないだろう。
夕方、妻も加わって、事務所のビルの2階の居酒屋「ひごの屋」で一献を傾けたおりにも、副団長は妻に同じ質問をした。よっぽど、日本の若い女性たち(ごく一部であることを願いたいが)の行動に半ばショックだったのだろう。

人はピンからキリまでいる。付き合う人はピンの人に限るが、キリの人とも相応しい距離を保ちながら生きていかなければならない。
現実に、もう私の周りにはそんなキリの人は近寄ってはこない。これも天の差配だ。良くしたものだ。


今週21日(水)〜23日(金)の2泊3日で中能登町に帰る。3月から毎月帰っており、今回が6回目だ。
いつも中能登町役場の皆さんには快く迎えていただいて、三橋美智也の歌ではないが、カールの歌"いいもんだな故郷は"と、心からありがたく思う。

これからの中能登町とOUEN Japanとのコラボの在り方について、8月の訪問時に打ち合わせを予定している。
その叩き台として、私の履歴・職務経歴、モットー、および中能登町の創再生への私の思いを文書に認めた。

これからの私の第二生を如何にいきるか、OUEN Japanの目指すところを整理整頓するという意味がある。

[履歴および職務経歴]

1.氏名:小林 博重
2.生年月日:昭和27年11月8日(71歳)、中能登町(旧鹿西町)能登部上にて生を享ける。
3.学歴:能登部小学校~鹿西中学校~金沢大学附属高校~東京大学文科Ⅰ類~東京大学法学部
4.職歴:
⑴ 安田信託銀行(個人営業、公共法人営業、事業法人営業、人事(採用・研修・企画)~明治安田生命(生命保険エージェント、Million Dollar Round Table(MDRT))
⑵ 平成20年に独立し、人と人、企業と企業をつなぐビジネスマッチングを生業とする(株)南青山ビジネスパートナーズを設立する。
⑶ 平成24年、共立メンテナンスに東京大学をつなぎ、東大の学生向けに日本人大学生および来日留学生が集う提携国際交流宿舎を提供する(井の頭公園に男女2棟)。
⑷ 平成25年、共立メンテナンスに東京工業大学をつなぎ、東工大の学生向けに同じく提携国際交流宿舎を提供する(川崎市梶ヶ谷に1棟)。
⑸ 平成26年、日本人大学生および来日留学生を応援するNPO OUEN Japanを設立する。
具体的には、日本人大学生と来日留学生が手を取り合って、グループごとに、地元の企業研究・企業訪問し、経営トップ・経営幹部や先輩社員と意見交換をすることで、地元に愛着を持ってもらうことが狙いである。そして、延いては、OUEN Japanが共に地元を元気にする“地方創生の一翼を担うNPO”になることを目指している。
⑹ 私はOUEN Japanの理事長であり、学生たちは私を“団長”と呼んでくれている。今は亡き石原信雄元官房副長官がOUEN Japanの応援団長であった。筆頭理事は元九州大学総長(現、福岡女子大学最高顧問)の梶山千里さんである。
梶山さんの要請で、学生たちと地元企業の交流イベントであるOUEN塾は福岡県からスタートした。
⑺ 高校同期や私が顧問をお引き受けしている金沢市本社の(株)浦建築研究所の浦社長から、「是非、石川県においてもOUEN塾を開催しては如何か」とのアドバイスをいただいたことで、令和2年、コロナ禍の最中であったが、オンラインで石川県でもOUEN塾を開催した。
⑻ その後は、コロナ禍でもあり、福岡県と石川県のOUEN塾は中止を余儀なくされている。

[私のモットー=敬天愛人・絶対積極・応援人生]

安田信託銀行でベンチャービジネスを中心とした事業法人新規開拓に従事していたおり、ベンチャービジネスの社長の何人かが稲盛和夫さんが塾長をされていた盛和塾の塾生だった。
そのことがご縁で稲盛さんにお逢いする機会があり、その出逢いもきっかけの一つとなって銀行を退職するに至った。そして盛和塾に入塾した。
稲盛さんは郷里鹿児島の偉人西郷隆盛を私淑されていて、“敬天愛人”をモットーとされていた。また、中村天風師を敬愛され、人生は“絶対積極”で生きるべきとも仰っていらした。
すなわち、天を敬い人を愛する人生、何事にも何があっても絶対的に積極的に生きて生き抜く人生を全うするということだ。私もそうありたいと思う。
そして、東京大学応援部で学んだ“3S‐Spirits(サービス、サクリファイス、スタディ)”を私なりに意訳した“社会貢献、活私奉公、人生修養”の3つを全うする“応援人生″をモットーとして掲げたいと思う。

[中能登町の地方創再生に関して]

昨年10月、ホテル椿山荘東京にて開催された「いしかわ県人祭」に参加し、中能登町のブースにて宮下町長と駒井さんにお会いした。宮下町長に、12月の「関東なかのと会」へのお誘いをいただき、そこで岩田課長にもお会いした。
宮下町長から、「中能登町のふるさと納税をよろしく」とか「OUEN塾で中能登町を素通りして七尾ばかりに行かないで、生まれ育った中能登町にも立ち寄ってほしい」と言われ、「年が明けたら2月にでも役場をお訪ねします」と返答した。

12月に、妻ともども中能登町へふるさと納税をした。そして、2月に中能登町へ伺おうと思っていた矢先、元日に能登半島が地震に見舞われた。
2月に宮下町長にお電話して、伺いたいとお話ししたところ、「それでは3月にお待ちしています」とのご返答をいただき、伺うことにした。

中能登町は奥能登や七尾ほどの被害は甚大ではなかったが、それでも至るところ地震の被害を垣間見ることができ、「OUEN Japanとして、OUEN Companyの皆さんのお力をお借りして何かお手伝いができないか」という思いが日々募ってきた。
そんなことで毎月2泊3日、中能登町の課題をお聞きして、OUEN Japanとして何ができるのかを考え、知恵を絞り、人脈を駆使している。そして、課題解決のため、ニーズに合ったOUEN Companyの皆さんを同行して中能登町に伺っている。

黄さん(副団長)からは、「団長のふるさとの能登を応援したい。連れて行ってほしい」と言われ、3月から毎月同行いただいている。

黄さんは、会社(イノベーションソフト)を経営しながら、彼女には何の縁もゆかりもない能登に、ボランティアで私と同行いただいていることに深く感動を覚えており、感謝という言葉しか表す言葉はない。
彼女は志を同じくするイコールパートナーであり、ビジネスのみならず、プライベートな人間としてのベストパートナーである。

これからの具体的活動としては、中能登町の課題解決ができるであろうOUEN Companyをタイムリーに中能登町に来町いただき、案件進捗を図りたいと思っている。そのためには今までの月に2泊3日では対応できないと思われ、地方創生アドバイザーとしてのミッションは不完全燃焼になってしまうと思う。中能登町として前向きにご検討いただきたい。

OUEN JapanはOUEN Companyの皆さんに支えられて成り立っており、年に1回開催するOUEN Japan信念会は、毎年200名近くの方々にお集まりいただいている。
来年1月25日(土)の東京大学(駒場)で開催するOUEN Japan信念会は、テーマを“能登の創再生の応援”とする。そして、今回は300~350名に集まっていただきたいと考えている。全てが個人および企業のふるさと納税の対象者である。

企業版ふるさと納税は、すぐに中能登町に貢献できる応援ではあるが、勿論、それはOUEN Japanのミッションのone of themであり、中長期的に取り組む応援は数限りなくある。これに応えていくのが[OUEN Japan=小林博重事]の第2生のミッションである。


不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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