大才になって、仲間たちと能登を応援する
[柳生家の家訓]
小才は、縁に出会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす
これからの残りの人生、私は大才になりたいと思う。幸せな人生を送りたいからだ。
その大才に関する座右の銘は、上記の[柳生家の家訓]だ。
"袖振り合う縁"について、私が思うところは、以下の3つだ。
①"友だちの友だちは皆友だち"
②"類は友を呼ぶ"
③"来る者は拒まず、去る者は追わず"
この3つの諺(①はタモリさんのギャグ)が、私の真っ当な人たちとの人脈を形成していくキーフレーズになっている。
信頼できる友だちをつくる。今までの人生で私はたくさんの友だちをつくってきた。その友だちから、同じ思い、同じ志の友だちをご紹介していただくことだ。友だちはそんな友だちを連れてきてくれる。
友だちづくりで、私はあまり空中戦はしたことはない。コツコツコツコツ、陸軍二等兵のように、地べたを這って拡げていく。日露戦争のおり、旅順でロシアと戦った祖父を見倣ってのことだ。
しかし、一昨日、中能登町の民宿美来里(びっくり)で夕食をともにした、"あやーん"さんは私があまりしたことがない空中戦でつくった友だちだ。
滅多に私から声掛けはしない。そのあとの副団長のフォローがまた良かった。そして、彼女とのLINE交換とあいなった。彼女のLINEの名前は"あやーん"さん。
彼女は作朝早く輪島に向かったが、民宿の女将さんに、私と副団長に名刺を渡してほしいと、その名刺にコメントを書いて置いていかれた。ちょっとした彼女の気配りが、私の心を温かくする。
嬉しくなって、親子ほど違う異性にLINEをする。年齢が違っても、異性であっても、ふと心が通じ合うことができれば、皆んな私の友だちだ。
帰りの新幹線の車中で、彼女から"輪島の現状と彼女の思い"をLINEでいただいた。
輪島の現状を目の当たりにして、正直な気持ちは悲しかったです。
東日本大震災も経験しましたが……。
以前あった街が跡形も無くなってしまったことは悲しいですが、前に進むためには諦めなくてはいけないものもあるかと思います。
輪島は倒壊した家々が残り、道路を挟んだ、目の前の仮設住宅で生活されている……。
崩れた山肌、隆起した道路。1番印象的なのはやはり火災に会った朝市の一帯が、未だにそのままの状態で残っていたことです。
何だか前にも後にも行けずに、時が止まったままの様な印象を受けました。
スピード感が無いと、やはり若い世代は離れて行ってしまいますよね。
残っている建物を見ると、中能登と同じく瓦屋根の重厚な趣の家屋が多くて、きっと素敵な町だったんだろなぁと想像します。
1日でも早い復興を願うばかりです。
[OUEN Japan]は、15歳まで私の生まれ育ったふるさとであり、私に人縁地縁があることもあり、中能登町(七尾市や羽咋市を含めた中能登地域)の地方創再生から取り組むことにしようと考えている。そしてタイミングを見て、奥能登地域に応援を拡げていこうと思っている。
能登の創再生の応援をしようと思ってから、"事を成すのに、大義を持つことが如何に大切であるか"、を私は実感している。
[OUEN Japan]では、OUEN塾やOUEN信念会のイベントを開催しているが、これも大学生や留学生の応援、女性の応援、仲間のOUEN Companyの皆さんの応援という大義がある。
それにも増して、もっと私に思いが深く、強い、ふるさと能登の復旧復興、創再生の応援を主柱として、全ての人たちへの応援を関連付けて、皆んなを幸せにすることだ。そして、私が応援する皆んなが幸せになる。
そんな、私にとって、ドンと腹に落ちる大義を掲げることで、心美しい、心温かい、素晴らしい心根の友だちはドンドン増えていくように思う。それは人の心を美しくする大義があるということだろう。私の心も美しく、強くなる。
能登の創再生の応援に、残りの人生を懸けて生きていこう!
あと30年、現役の応援団長として、一生青春、一生燃焼の心意気を持って生きていこう!
大いなる道といふもの
世にありと思うこころは
いまだも消えず
下村 湖人
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)