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中国東北部の旅を終える(9月8日)

中国旅行の6日目。あっという間に最終日になった。今日は帰国の途のみの一日だ。ホテルで6時過ぎに朝食を摂り、荷物の整理をして、10時過ぎまで贅沢に朝寝をする。
黄さんは11時前にホテルに迎えにきてくれて、大連空港(大連周水子国際空港)に向かう。

出国手続きを終え、13:00大連発〜16:25羽田着のJALに搭乗し、帰国の途に着いた。
18時過ぎに帰宅し、ゆったりと風呂に浸かって旅の疲れを癒した。

この5泊6日の中国東北部(大連・旅順、ハルビン)の旅を無事終えることができたのは、箸の上げ下ろしまで、専ら黄さんの心温まるおもてなしのおかげに依るもので、彼女にはいくら感謝しても感謝し過ぎることはない。

黄さんと初めてお会いしたのは、2年前の令和4年2月だ。私が2月4日の立春の日に、新宿の公園で転んで頭を5針縫う災難に遭ったあとだった。剃髪して落ち着いたころだったから、2月の下旬ではなかったか。そんなことで、彼女とはまだ出会って2年半強と短いお付き合いである。

彼女の初対面の印象は、彼女のお人柄だろう、ずっと昔からの友人であるかのように、ざっくばらんに話すことができた。ちょっと不思議な感覚があった。

2年半の間、いろいろなことがあった。
6月には生前葬&出陣式を執り行い、11月には女性経営者の重陽の会を開催した。
昨年は、1月にOUEN Japan信念会があった。
彼女に重陽の会の会長になっていただき、女性経営者の纏め役にもなっていただいて、定期的に重陽の会を開催するようになった。
さらに、黄さん主催のOUEN Japan餃子パーティも開催した。
今年の元日に能登半島地震があった。私は3月から毎月、2泊3日で中能登町に出向いているが、黄さんは、「日本が大好きで、お世話になっている日本に恩返しをしたい。その一つとして団長のふるさと能登の応援をしたい」と、3月から私と同行して能登に来てくれている。
そして、今回の5泊6日の黄さんのふるさと大連とハルビンの旅だ。

人との出逢いについて、森信三翁は下記の箴言をお話しされている。

人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。
しかし、うちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども、縁は生じず。
森信三


私と黄さんとは22歳の歳の差がある。親子ほどの歳の差だ。そして、彼女は女性だ。それでも“無二の心友”になることができる。
彼女ともっと早く出会っていたなら、私の紆余曲折や七転八倒の人生はなかったのではないかと思うこともあったが、「いや、そうではない。私のこれまでの紆余曲折や七転八倒の人生があったからこそ、天は私に黄さんを引き合わせてくださったのだ。私たちの出会いは遅くもなく、早くもなく、ベストタイミングだったのだ」と、今はそう思う。

二人の価値観は共通している。これが大きい。そして、周りの理解も大きい。私たちの家族や友人たちは、それは素晴らしい心根の人たちばかりだからだ。

今回の大連・旅順、哈爾濱(ハルビン)の旅は、以下の4点が目的だった。

①育ての親である祖父の青春を燃やした旅順二〇三高地を訪ねること
②旅順二〇三高地で、ふるさと能登の創生再生の応援を祖父に報告すること
③最高のビジネスパートナーである黄さんのふるさと大連・哈爾濱(ハルビン)を訪ねること。そして、彼女が私の思っていた以上の素晴らしいパートナーであることを確認できた。
④中国の高度人材が、能登の創生再生の応援団になっていただけないだろうか、日本と中国の架け橋になることができないだろうか、その模索。

その目的はほぼ達成されたと思う。
これからの私の上り坂の第二生を、マイペースで、無理をすることなく、それでも全力で疾走しようと思う。

黄さんのおかげで最高の中国東北部の旅をすることができた。
黄さん、どうもありがとうございました。

小林団長

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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