私に何ができるか
昨夕、参議院議員石田昌宏事務所の五反分さん(政策秘書)から、(株)grigry社長&CEOの石川加奈子さんをご紹介いただいた。
私が昨年、生前葬&出陣式で、生まれ変わって、[女性の応援団長]になったこともあり、「小林さん、"世のため、人のため"に石川さんを応援してあげていただけないか」とのことでのご紹介だった。
「女性活躍が日本を元気にする」
女性の働く環境を整備して、女性が"自ら持って生まれた、自らが磨き続けている"能力と個性"を、存分に発揮できる社会をつくる"ことが、女性のみならず、男性にとっても力強い対等なパートナーができることでもあり、男女両性のため、日本が元気になるための大きな要諦ではないだろうか。
そんな問題意識を持って、NPO OUEN Japan(=小林博重)は日本を応援していきたいと思う。
熱き想いは、具体的に形にしていかなければならない。
まずは想いありきではあるが、それだけでは思い付きに終わってしまうことにもなりかねない。
寝ても覚めても考え続けて、その想いを進化・深化・純化していくことで、その想いは具体的な形になっていく。
そして、人を巻き込んでいくことだ。仲間をつくり増やしていくことだ。
人は一人では何もできない。できてもできることは限られている。想いを人に伝え、人を感化し、その同じ志・想いを持った人たちの力を借りて事を成すことだ。それができなければ、想いはその程度であったということだ。
多くの信頼できる人たちをつくること、彼らの力を借りて一歩一歩、前に進めていくこと。
豊かな発想があっても、多くの仲間たちの力を借りなければ何もできないことを自覚することだ。
それは、"謙虚と感謝"の心を持つということだ。
私には何ができるだろうか。
"女性の応援団長"として、いろいろ考え行動してみたい。
私は人と人をつなぐことを生業にしている。皆さん、しっかり実業をお持ちであるが、その実業と実業をつなぐことが私の生業だ。
"類は友を呼ぶ"
"世のため人のために尽くしたい"という想いを持った人たちをつなぐこと。
人と人のつながりには色はない。
人には人さまざまな色があり、誰一人として同じ人はいない。人と人をつなぐことで、思いもよらない化学反応が起きることがある。
だから、私は一見無駄に見えることもやってみるのだ。
石川さんが、「雷に打たれた。天命を感じた」と仰っていたことに、私も同感だ。
それは、「利他と利己の境界のところが人間の目指すところだ」と言う意味のことだ。
私は、「利己を極めて、利他に至る」と考える。
私は、「"自利利他"から"忘己利他(もうこりた)"へアウフヘーベンするのだ」と考えている。
[利己と利他]
稲盛和夫さんは、"利他の心"を説かれた。
[6つの精進]の5番目には、「善行、利他行を積む」とある。
また、天台宗には"忘己利他(もうこりた)"という言葉がある。"己を忘れて他を利する"まさに仏様の境地になることだ。
凡人の私はその域には到底辿りつかない。しかし、"自利利他"であれば、私はできるのではないか。
人は自分が一番大切な生き物だ。自分のためだったら何でもする。それが他を利することになれば、そんなに幸せなことはない。何でもWin Winが一番だ。近江商人の"三方よし"だ。
私はどんな時、幸せな気持ちになるかを考える。
人に何かをしてさしあげて、その人から「ありがとうございます」と言われた時、私はとても幸せな気持ちになる。
そして、その人が心優しい人であれば、そのお返しをしようとする。
"情けは人のためならず"
情けをかけると、その情けは必ず返ってくるものだ。情けは人のためではない。自分のためなのだ。自分のために、人に情けをかけるのだ。
すなわち、「他を利することは自分を利すること」なのだ。
老子が説く"無用の用"をしてみよう。何の見返りもないようなことをしてみよう。私は"無用の用"をそのように解釈している。
「無用の用(むようのよう)」とは、一見役に立ちそうもないものや事柄が、実際には大きな役割を果たしていることを意味する言葉です。つまり、見かけは大して重要ではないものが、かえって大切な部分として機能しているようなことを指します。
「無用の用」の「無用」とは言葉通り「役に立たないこと」「有用性」や「価値がかけている様子」、また「無用の用」の「用」はその逆を意味する言葉です。つまり「無用の用」で価値がなく必要ではないとされるものが、実は価値があり有用であること、という意味になります。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)