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アンナとの心の交流

東京でのアンナとの「美女と坊さんの行脚」は2日目を終えた。
外苑前駅から徒歩0分、私の事務所からも徒歩1分程度のところにある「三喜園」(中華料理店)で夕食をともにした。このお店の中華料理は、中国東北地方の味を日本人好みにアレンジしたものだとか。以前、黄さんとご一緒した時、彼女が店員と中国語で会話して、そうだと分かった。
中華料理は上海や四川や北京が多いが、東北は初めてだ。
兎に角、三喜園は価格もリーズナブルで美味しい。気の置けない人と軽く一杯というのには丁度いい。

食事をともにしながら、アンナとザックバランに何でも話す。
とても初対面が[OUEN信念会](今年の1月26日)だとは思えない。たった半年あまりで、お互い、「目で会話ができる」ようになった。
二人の間で、この短時日で思いが通じる人間関係ができたことに、我ながら驚いている。
人間の出逢いの不可思議さに思いを致す。

ふと、哲学者で、教育者であった森信三翁の箴言が頭に浮かぶ。

人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。


アンナと私は逢うべき人同士だったのか。
しかも、一瞬早すぎず、遅すぎない、ベストタイミングで出逢ったのだ。
彼女のビジネスにおいても、私のビジネスにおいても、いずれにおいても、そのような出逢いを求めていたようだ。これは神仏や天の仕業か。人間技ではない。

ウクライナ人と日本人
美女と坊さん
孫と祖父さん

そんな二人が、半年あまりで「人生を語り合う仲」になったのだ。

生きるとは何か
人間とは何か
義理と人情の人間世界
ビジネスと哲学
社会起業家とそのサポーター

ビジネスを通じて、人間の奥深さを追求し、人は成長していく。

安岡正篤翁の箴言を思う。

我々は何のために仕事をするのか、何のために会社はあるのかといえば、第一に自己の主体性・自立性を練磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって、発達する自己を通じて、何らか『世のため、人のために尽くさんがため』である。

人間はみな職業を持っております。社会学者は職業に二つの意味を説いている。
その一つは、それによって生活を営む手段とすることである。しかし、これは誰しも免れない条件ではあるけれども、それだけでは尊い意味はない。
職業の大切なことは、それが生活の手段であるということのほかに、その職業である仕事を通じて、何らかの意味において、世のため、人のためになるということである。
これあるによって職業は神聖であるということができる。これあるによって進歩がある。

ジェームス・アレンは『原因と結果の法則』で言っている。

汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間は、いつも自分のエネルギーを、より穏やかな心と、より強力な目的意識によって導いているからです。

また、稲盛和夫さんは仰っている。

まずは、純粋できれいな心を持つことが、人間としての生き方を考えるうえで大前提となります。
なぜなら、よい心・・・・・とくに「世のため、人のため」という思い・・・・・は、宇宙が本来持っている「意志」であると考えられるからです。

宇宙には、すべてをよくしていこう、進化発展させていこうという力の流れが存在しています。それは、宇宙の意志といってもよいものです。
この宇宙の意志が生み出す流れに上手く乗れれば、人生に成功と繁栄をもたらすことができる。この流れから外れてしまうと没落と衰退が待っているのです。

策を弄してはならない。正道を踏んでいくことは一見、迂遠であるように見えるけれども、それが成功するための近道です。

そんな人間的で哲学的な内容を、孫のような、それも日本人ではない異性の若者とディスカスすることは、「義理と人情の任侠道」「男の世界」「武士道」の世界に憧れて生きてきた私にとっては、考えてもいなかった人生の後半戦だ。

人間は皆同じだ。美しく、強く、真っ直ぐに生きていくこと、そのこと自体が幸せな人生であり、それが[人間として生きる]ということなのだ。

アンナとの楽しい、有意義な会話を通して、あるべき人生を垣間見ることができたように思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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