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ふるさと能登をもっと愛したい
12月20日(金)。無事、11泊12日の中能登出張を終えて、16:48金沢発のかがやきに乗る。自宅がある銀座線外苑前駅には19:48に着く予定だ。金沢⇄東京はドアツードアでたったの3時間。半世紀前の半分だ。時代の進歩に驚かざるを得ない。昔もいいが、今もいい。
今日は、10時から最後の中能登町役場の部門長(総務課長)との打ち合わせを行なった。これで部門長の皆さんと忌憚なくザックバランに話すことができるようになった。まずはこのコミュニケーションが復興、地方創生の一丁目一番地だ。これから10年〜20年〜30年と能登の応援を続けていくにあたり、「よっし、やるぞ」と確信のようなものが湧いてきた。30年先、私は102歳。「100歳現役が口だけではないぞ」そんな勇気凛々、気持ちが湧き上がる。
総務課長には、「OUEN Company の1社で私が顧問をしている会社が、中能登町のために、無償で同社のサービスを提供したいと申し出がある」ことをお伝えし、全ての部署でトライアルしてみては如何かとそんな話が中心だった。「それはありがたい。こことここにそのニーズはあるだろう。私から話してみよう」
私も全ての部門長との面談が終わっているから、私から直接話すこともできる。
このサービスは一部門に限らず、あらゆる部門にもお役に立つサービスだ。今まで多くの民間企業のみならず自治体でも採用されており、そのOUEN Company の1社は、私が中能登町地方創生アドバイザーの委嘱を受けたことで、「能登を応援しよう」と、中能登町に無償提供してくれることになったものだ。ありがたいことだ。
打ち合わせのあと、今日は東京に帰るだけだったので、昨日の晩餐会の海の幸を買った七尾の中島ストアーに再度出向き、土産の北陸の幸を買い求めた。
真鱈、真鱈の真子、香箱蟹、はちめ(東京ではメバルと呼ぶ)、名前は忘れたが巻貝を買った。
氷をビニール袋に詰め、大きめのビニール袋に魚貝類と氷の袋を入れてリュックに詰め込んだ。何とか、20時まで持つだろう。
七尾から金沢まで、のと里山道路を通って金沢まで1時間強。金沢では近江町市場で海鮮のランチを食べる(やはり、海の幸の買い物は七尾に限る。近江町市場は高くても買ってくれる観光客目当ての商売で、何でも高過ぎる)。
食べ終わって、徒歩で金沢駅まで戻る。余裕で16:48発のかがやきに乗ることができた(そして、新幹線の車中でこのblogを書いている)。
農園食堂のおかみさんからLINEが入り、「小林さんの同級生を紹介しよう」と。
私は中学校を卒業した15歳の時からほとんど中学校の同期には会っていない。顔も思い出せない。そのことをおかみさんに言ったところ、おかみさんは、「私は小林さんの同期のこの人と親しい。小林さんの携帯番号を教えてもいいか」とのLINE。そう言えば、言われた同期の顔を思い出した。「ありがとうございます。教えて差し上げてください」と私からLINEをする。
おかみさんは、私に同期の携帯番号を教えてくれて、「小林さんから電話したらいい」と言う。
私から三度しても通じない。少し立って、同期から電話がかかってきた。「博重、元気だったか。今度中能登に来たとき、半世紀振りの同期会でもやろうじゃないか」と。私から「1月に行った時、会おう。和みででも一杯やろうか」と言葉を返す。
半世紀が経っても竹馬の友は昔のままだ。
彼は、私のことを小林さんとか博重さんとかではない。博重と呼び捨てされるのが、幼馴染だからだ。それが嬉しい。
やはり、半世紀振りにふるさと能登に帰って良かったと思う。それも、これから月の半分近くは中能登町で暮らすのだ。友の力もお借りしたい。何と言っても、"友だちの友だちは皆友だち"だもの。
私の中学生時代は、受験勉強でほとんど同期とは友だち付き合いをしたことがなかった。そんな皆んなからのハズレ者でも、友だちは快く受け入れてくれる。何と嬉しいことではないか。
室井犀星は、ふるさと金沢に帰って、ふるさとの冷たさを感じて、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠った。
だから、遠きにありてふるさとを思う時、ふるさとは実に懐かしく、ふるさとは美しいのだ。しかし、一旦ふるさとに足を踏み入れると、そこにはなぜだか冷たい風が吹いていることが間々あるようだ。
そうであってはいけない。
ふるさとに足を突っ込み、ふるさとを愛し、懐かしむ。そして、ふるさとを自分ごととして、どうしたら素晴らしいふるさとになるかを考え、行動する。ふるさとにないものを別のところから持っていく。
皆んなでともに、ふるさとを自分ごととして考え、愛する。
私は、もっとふるさと能登を愛したいと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)