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大連からハルビン行きの新幹線に乗車する(9月4日)
中国旅行の2日目。6時に荷物を整理して、スイスホテル8階のレストランで軽く朝食を摂る。今日の宿はハルビンの黄さんのお兄さんの家だから、一旦ホテルをチェックアウトしなければならない。
朝食は、お粥とパスタと葉っぱものの野菜とメロンとスイカの果物と桃のジュース。朝から脂っこい食事は身体が受け付けない。
黄さんに勧められて、太田胃酸を持ってきて正解だった。
昨晩、寝る前に一服飲んだおかげで胃の調子は決して悪くはないが、これから中国料理が続くことを考えると、今朝の朝食はあっさりしたお粥がベストと思う。
黄さんが6時過ぎにレストランに迎えに来てくれた。朝食を済ませて新幹線の大連北駅に向かう。
大連北駅は、新幹線のみの駅だ。この駅からはハルビンのみならず、北京や上海等の中国各都市に行くことができる。中国東北部のターミナル駅だ。
新幹線に乗車するのに、それは日本の新幹線の駅とは大違いであることに驚く。
外国人はパスポートがないと乗車できない(中国人は国(省?)が発行する身分証明書が必要)。手荷物検査もある。日本の空港と同じだ。
黄さんから、「ハルビンは蚊が多いから虫除けスプレーを持ってくるように」と言われていたので持参したのだが、そのスプレーが手荷物検査で引っかかってしまい、没収されてしまった。まだ1回も使っていなかった。勿体ないが致し方ない。
ハルビンはロシアとの国境の街だからだろう。駅中には、大連土産を売っている店舗の隣に、ロシアの置き物やお菓子を売っている店舗があった。
ローソン(羅森)やスターバックス(星巴克)もある。
羅森の発音はローソン。スターバックスのスターは星。巴克の発音は、バックスと似ている。スターには表意文字の星を使い、バックスには同じ発音の巴克を使う。巴克は表音文字になる。
中国の漢字は表意文字だが、外国の地名や会社名は表音で表すしか仕様がない。その点、日本は表意文字は漢字、表音文字はひらがなとかたかなで分けられる。日本の知恵だろう。
日本の優れたところ、中国の優れたところを持ち寄って仲良くコラボすれば、皆んな幸せになるのにと思う。
その他、昨日から強く印象に残ったことは、色に準えたら中国は濃い原色であり、日本は薄い淡色だと言うことだ。
中国の色のイメージは、赤を基調とした原色であり、黄色や緑色も全て濃い黄色であり緑色だ。
料理も同様だ。中華料理は、油をたっぷり使う。それに対して、日本食は曖昧な淡い色のイメージだと思う。
そう考えると、東大のスクールカラーである淡青(ライトブルー)は日本らしい色だと思う(この淡青はイギリスのケンブリッジのスクールカラーから取っている。ケンブリッジとオックスフォードのボートの対抗戦は、スクールカラーでは淡青と濃青の戦いだが、同じように東大と京大のボートの対抗戦で、東大はケンブリッジの淡青をスクールカラーにして、京大はオックスフォードの濃青をスクールカラーにしたのだという)。
私は、日本らしい淡青が東大のスクールカラーになって良かったと思う。日本を代表する大学である東京大学の色は、日本的な色である"ライトブルー"が相応しい。
7:22に大連北駅を経って、11:44に哈爾濱西駅に到着する。4時間20分かかった。
大連からの乗客は少なかった。中国の新幹線では中国人のワイガヤはどんなものかと思っていたが、以外と静かでちょっと拍子抜けした。
しかし、1時間半ほど経って車内はほぼ満員になったところで、漸くワイガヤの中国人の本領が出てきた。
あちらこちらからワイガヤが始まる。静かにスマホを見ている人たちもいることにはいるが、そんなことはお構いなしに、大声でプライベートな会話をする。
さらに、それに輪をかけてビックリしたのは、男の売り子(それはおじさん)が、通路で、その日買ってほしい商品をしつこくプレゼンしていたことだ。ただでさえ、客のワイガヤが喧しいのに、それに輪をかけて話す売り子のおじさんの大声でのセールストークだ。
喧騒過ぎて仮眠もできない。腹を立ててもいいことは何もない。これが中国なんだと自分を納得させる。
大連からハルビンの5時間弱の乗車時間、車窓からの景色は広大な平野が続く。これが、学生時代に社会科で学んだ"華北の穀倉地帯"だ。ビニールハウスもあるが、時速300kmの新幹線で走っても2分はビニールハウスの景色が続いていた。流石、中国だ。スケールが違う。
日本では、北海道は、"北の大地"とか"でっかいどう、北海道"とか言われて、日本人は、北海道が日本離れしたスケールの大きな島だと思っているが、この目で中国の大地を体感すると、中国と北海道のスケールの違いを否が応でもでも痛感する。上には上があると言うことだ。"汝自身を知れ"、"素直な心"を思う。
戦前の清国の時代、中国は如何に眠れる獅子であったとしても、日本はよくこの広大無辺な大国と戦争をしたものだと思わざるを得ない。敵は、追っかけても追っかけてもどこまでも逃げ通すことができる。逃げるが勝ちなのだ。
かの孫文は、
「日本はアジアのリーダーとしての王道の干城となるか、それとも西洋の覇道の番犬と成り下がるのか。日本には、堂々と王道を歩いていってほしい」
と日本での講演で述べたが、その孫文の願いは叶わず、日本は自らを買い被って、その結果、覇道を歩くに至ってしまった。驕り高ぶってしまったのだ。
すなわち、ソクラテスの、"汝自身を知れ"の箴言は、人間が謙虚になるベースとして絶対不可欠の要素なのだ。
ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの争いをはじめとするきな臭い現代にあって、日本は如何にあるべきだろうか。
日本は、独自の立ち位置を堅持し、日本の淡く、曖昧模糊とした、(いい意味で)いい加減な国民性をフルに発揮して、世界平和に貢献していってほしいものだ。
哈爾濱西駅では、黄さんのお兄さんの奥さんの弟さんが迎えにきてくださっていて、ランチのあと、ハルビンの名所を案内してくださった。
ランチは、営業100年以上の老舗中華料理店だった。ロシア人が主なお客さんで、日本人はそうでもなかったそうな。
ロシア人は甘いものが好みとのことで、甘いぷくっと膨らんだ煎餅のような食べ物がこの店の名物なんだと。
その他、黄さんはこれでもかと思うほど、たくさんの種類の献立を注文してくれた。それも出てくるボリュームが半端ない。
朝は軽食だったが、そのボリュームに圧倒されて、出てきた量の半分も食べ切れなかった。
黄さん曰く、これが中国風のおもてなしなんだと。
東京タワーよりちょっと高い、高さ339mのハルビンタワー(別名:龍塔)に登った。生憎、雨天で視界が曇っていて見晴らしが良くなかった。それでも、タワー中腹の展望台を一周して、ハルビンの市街を見下ろすことができた。
エレベーターホールがある1階には、2匹の巨大な龍の彫り物が所狭しと鎮座ましましている。
なんで別名が龍塔で、龍の彫り物があるのか。そのわけは、ハルビンは黒竜江省の首都だということで納得した。私は辰年生まれで、今年が満72歳の年男だ。辰年の今年、黒竜江省のハルビンに来ることができたのも何かのご縁だ。今年は縁起がいい。そして、私は運がいい。
中国では、非常に家族を大切にする。レストランでも親子連れに、2組の祖父母が和気藹々と食事をしていることが稀ではない。
黄さんも兄弟姉妹ではない、従兄弟や従姉妹でもない、遠縁の人たちとも密に交流している。日本ではこんなことはあまりないのではないか。
黄さんはそんな広義の家族のみならず、彼女独特の人懐っこいキャラクターで、ザックバランにお付き合いする仲間たちとも家族のようなお付き合いをしている。中国においても、日本においても、稀有な人物だと思う。
哈爾濱市内の見学を終えて、哈爾濱西駅に向かう。
16時40分哈爾濱西駅発の新幹線で50分かけて尚志南駅に到着する。そこから、今日お世話になる黄さんのお兄さんの奥さんの家(延寿県。ここもハルビン)までタクシーで1時間程度。
これにもあっと驚くが、明朝は、そこからタクシーでまた1時間程度かけて黄さんの実家(先峰村。ここもハルビン)に向かう。お母さんが待ってくださっている。
ハルビンはどこへ行ってもハルビンというのが私の実感だ。中国の市は、日本の県のイメージだ。市の下に県があり、その下に村がある。
とにかく、何を見ても聞いても、この中国旅行で私の価値観は180度大転換した。それはツアーでなく、黄さんに通訳していただいて現場のそのままを体験できたからだ。
この中国東北部の旅は、能登の創生再生の応援のミッションを掴んだこととともに、私にとって、第二生を生きるにあたり、実に有意義なものになることだろう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)