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東大応援部と[OUEN Japan]の"3S-Spirits"

2月18日(日)15時から、赤門鉄声会(東大応援部OB・OG会)の学年幹事会が、東大駒場生協食堂で開催された。

その前の13時半から20分、朝日新聞社後輩の栗原さんのご案内で、新宿の老人ホームに入居されている中島清成さん(昭和31年卒部、元朝日新聞社勤務)を、前鉄声会会長の井口さんと現会長の小池さんと私の3名でお訪ねした。

中島さんは私の19代前の主将(団長)だ。91歳。彼は、OB・OG会を[赤門鉄声会]と命名された。また、[伝統の勝利の拍手]のテクをつくられた。何よりも、東大応援部の[3S-Spirits](Service、Sacrifice、Study)の生みの親だ(そして、この[3S-Spirits]は、[OUEN Japan]の精神でもある)。

中島さんは耳は少し遠くなられたが、声に張りがあり、頗るお元気だった。東大応援部の現状をお聞きになって、「もう一度、学生に戻りたいなぁ〜」と何度も仰った。
彼は朝日新聞社〜日刊スポーツ新聞社の勤務時代、今現在に至るまで応援部精神を持って生きていらっしゃるのだな、真っ直ぐだな、ピュアだな、と改めて痛感した。

帰りに、彼の自分史である[無名記者の一分 鼻歌まじりの命がけ]にサインをしていただき、ご恵贈に与った。この自分史は彼が喜寿を迎えたことを機に書かれたものだ。

無名記者の一分 鼻歌まじりの命がけ

昔、中央公論新社から発刊された彼の著書[無名記者の挽歌]を買って読んだ。これが2冊目だ。

無名記者の挽歌

この本の「おわりに」のページに彼の生きざまが書かれている。

[人生のトライアスロンは、まだ終わらない]

私のランも、無理せず、完走を目指す。
いま、私は七十五歳。数えでいえば、七十七歳だ。
いよいよ、これからが、「百歳への挑戦」である。

目指すは、記録ではない。
走りざまに、人間らしさが保たれているかどうか。この一点である。

人間らしさとは、
心の善さ。
人の良さ。
生きざまの佳さ。
そして、できれば、沿道の風景に、世の潤い、人の潤いが見られればいい。

疲れたら、鼻歌でも歌おう。

なにせ私は、これまでの人生の二種目で、
利を求めるに疎かった。
栄達を願うに疎かった。
勝つための競争に疎かった。
だから、楽しい時はもちろん、苦しい時でも鼻歌が出た。
存外、それが人生の達意というものかも知れない。

とまれ、私のランは、始まったばかりだ。
そして、人生のトライアスロンは、まだ終わらない。

私も、中島さんのような、真っ直ぐで、ピュアな人生を送りたいものだ。

赤門鉄声会学年幹事会は、Web参加を含めて37名が出席した。
年齢のトップは昭和42年卒の井口さん。私は5番目だ。歳を重ねたものだ。
平成卒部の学年幹事の出席率が芳しくない。同期の集まりなら出るのだろうが。

私の時代は創部して20年あまりの先輩・後輩が和気藹々と交流していた時代だ。
大学紛争があって東大応援部は存続の危機に遭遇していたこともあり、先輩・後輩の団結力は半端ではなかった。私はよく先輩を訪ねて、部の悩みを聞いていただき、「ごっつあん」になったものだ。
しかし、今の応援部は総勢80名を超す大所帯になった。そして、現幹部は第77代。三四半世紀の歴史を重ねている。
鉄声会は、現役に寄付をしてくれる団体だと思っている部員も多くいるのではないか。

OB・OG会は、昔のようなアットホームな雰囲気ではないことは確かだ。だから、平成年代卒部のOB・OGの集まりは芳しくないのだろう。
学年幹事会では、平成年代のOB・OGが如何に参加してくれるか、フリーディスカッションの時間も取った。

また、今年度の応援部幹部は19名だが、その内16名が女子だというのも、幹部たちの挨拶を聞いていて、私の現役時代とのあまりの違いに隔世の感を覚える。驚きを禁じ得ない。
[OUEN 信念会]で現役を呼んでパフォーマンスをしてもらっているこの私でもそう思う。私の年代前後のOBは私どころではないだろう。

時代は変わる。
それでも、中島さんが唱えた【東大応援部の精神[3S-Spirits]】は変わらない。

その精神を、私は[OUEN Japan]に引き継いでいこうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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