改めて、”応援哲学”を身に叩き込む
12月9日、7時20分東京発(敦賀行き)のかがやき503号に乗車し、金沢に向かう。昨日も2時前に起きたせいで、東京で乗車してすぐに睡魔に襲われてしまったらしい。全く、停車駅の上野、大宮、長野に停まった記憶はない。目覚めたのが富山に到着する手前だった。
「2時間近く熟睡できたのは、今日は幸先がいい」と目覚めてそう思った。
敦賀まで開通する前は終点が金沢であったため安心して眠っていたこともあったが、もうそんな気楽なことではいけない。富山で目覚める昨日のパターンがベストだ。
11泊12日の長逗留、それも冬に突入したこともあり、大きなキャリーバッグの中には、たくさんの下着の他、妻が持たせてくれたボアシーツも入っている。軽いようでギッシリ詰まっていて重い。新品であり、キャスターもスムーズに動く(今までのキャリーバックは新婚旅行で使った時のものだった。キャスターが付いているだけでスムーズに動かなかった。それを扱うのが黄さんだったこともあり、彼女は新品をプレゼントしてくれたのだ。持つべきは、心優しい、気が利くパートナーだ)。
金沢で8分の待ち時間で七尾線普通に乗り換える。11時14分に良川に到着する。乗車時間は1時間21分。私が高校生の時、月1回は帰省で利用していたが、1時間30~40分はかかっていただろう。七尾線が平成3年に電化したからだ。金沢での乗り継ぎ時間も短いこともあって、東京から中能登へは4時間前後で行くことができるようになった。半世紀前は早くても6時間はかかっていただろう。東京から中能登は、実に近くなった(それに反して、奥能登はそうではない。七尾線は七尾までで、それからは第3セクターののと鉄道だ。それも穴水まで。輪島や珠洲までは鉄道は通っていない)。
ありがたいことに、良川駅には迎えがあって、宿泊先の古民家みおやの里まで送っていただく。みおやの里にキャリーバックを置いて、その足で良川駅まで送っていただいた。
昨日は七尾に用事があって、みおやの里から徒歩40分かけて能登部駅までウォーキングをするつもりだった。しかし、生憎の雨模様だ。七尾に行くには能登部より良川が1駅近い。そのようなわけで送っていただいたのだ。ありがたかった。
七尾で用事を済ませ、みおやの里の最寄り駅である能登部駅で下車する。
駅前には飲食店は何もない。15分歩いて、11月に黄さんと行った鳥八という居酒屋(焼き鳥屋)で、夕食を兼ねて軽く一杯、芋焼酎のお湯割りを2杯堪能する。こうばこ(香箱蟹)とブリカマ、最後はラーメン。おかみさんは私のことを覚えてくださっていた。「お酒屋さんをされていた小林さんでしたっけね」と。
外は”能登しぐれ”だ。雪は降っていないが、小雨がちらついている。40分かけてみおやの里まで傘を差してウォーキング。片手に傘を持つ。黄さんからもらったリュックを背負って歩く。手持ちのカバンでなくて良かった。
まだ雨だったからいい。雪だったら時間は40分では済まないだろう。みおやの里で靴を取り換えてきた。11月に買った長靴を履き替えたのだ。小雨の中でも長靴は役に立つ。
能登での生活はまだまだ試行錯誤だ。早く冬の能登に慣れたいと思う。
私は毎日、このOUEN blog を書いている。時々、読んでくださっている人から激励のメールをいただく。昨日は高校の同期の2人からいただいた。「頑張っている小林を応援する」と。ありがたい。東京と京都の2人だ。
鵜宿の道端さんからもメールをいただいた。
「冬の能登は思いのほか厳しい。能登時雨のなか1時間以上も歩くのはそれはウォーキングとは言わない。酒を飲んで寒風吹きすさぶ田圃の中を歩くことは死に直結するかもしれない。暖かい部屋と寒い浴室の寒暖の差がヒートショックを引き起こす。頑張ればいいというものではない。20年能登の創生を応援しようと思っていらっしゃるなら、くれぐれも無理をすることなく、人さまに甘えることも大切だ」
と。まるで母姉のような親身のアドバイスだ。ありがたい。
「”応援”とは何か」と考える。
応援とは、応援したい人やチームが勝つように応援することだ。持てる力を貸すことはできないが、応援は選手たちの心の支えになるだろう。そのような応援をしなければならない。
だから、選手たちは「応援していただいてありがとうございます」とお礼を言ってくれるのだ。それで応援する人は、「少しは応援がお役に立ったのだろうか」と満足する。
「ありがとう」という言葉、また、応援する人に向かって、「あなたのことを応援している。応援するあなたを私は応援する」ということも間々あるのだ。高校の同期たちも、鵜宿の道端さんも、私の”能登創生の応援”を応援してくださっている。
応援とはキャッチボールだ。1対1の時もあるが、それが3人、4人、5人と、どんどん拡がっていって、それは無限大にまで拡がっていく。それが本当の応援だ。応援の真髄とは、無限大に拡がっていく人の輪と和である。
だから、私は「いい加減なことをしていてはいけない」と改めて自らを奮い立たせる。いい加減な応援をしていては、私を応援してくださっている皆さんに対し、誠に失礼極まりないことになる。
応援道とは応援哲学だ。「人間、如何に生きるべきか」という人間哲学である。そして、それは美学でもあろう。
心して、能登の復興・創生を応援しようと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)