青年は荒野をめざす
私の人生後半戦、私は第二生のミッションの主柱を"ふるさと能登の創再生の応援"にした。
この主柱を、ぶらすことなく太く堅固にしていくことが、自ずから、[OUEN Japan]のミッションである、①学生たち(日本人大学生および来日留学生)の応援と、②女性経営者をはじめとする女性たちの応援と、③OUEN Japanを応援してくださっているOUEN Companyの皆さんの応援をすることになる。
すべてが有機的につながっている。
半世紀前、私はふるさと能登を離れて花の東京に上っていった。
昭和40年代の日本は高度経済成長のど真ん中の時代であり、人は地方から東京に上っていくのが自然の流れだった。いや、明治維新以来、日本が開放社会になり、民主主義になってから、日清・日露戦争を経て、日本人は一旗あげようと、"坂の上の雲"を目指して、"花の東京へ、東京へ"と、青雲の志を抱いて上っていった。そのピークが戦後の高度経済成長時代だった。
この私もご多分に洩れず、能登→金沢を経て花の東京に上っていった一人だった。"末は博士か大臣か"、"身を立て名を挙げ"、立身出世をしたい。そして、ふるさとに錦を飾りたいと思っていた。
日本の人口推移を見てみると、明治維新(1868年)は3,330万人、終戦(1945年)は7,199万人、2000年で12,693万人。ピークは2004年の12,784万人(高齢化率19.6%)。
それから日本は人口減少社会になった。
中位推計では、今から6年後の2030年は11,522万人(高齢化率31.8%)になり、2050年は1億人を下回り9,515万人(高齢化率39.6%)に、2100年には5,000万人を下回り4,771人(高齢化率40.6%)になるのだと。
これからの日本は、坂の上の雲のピークから崖を転げ落ちるように人口が減っていく。と言うことは、国力も減っていく、人間の心も意気消沈していくということだ。
しかし、これは茹でガエルのように人間の一生から見て少しずつの変化であり、ほとんどの人はその変化に痛みが伴わないので、他人事と思ってしまっている。しかし、孫やひ孫、玄孫のことは他人事なのか。人口戦略会議議長の三村明夫さんはそのことを仰っているのだ。「日本人よ、もっと賢くなれ」と。
恕の心、思い遣りの心は、今生きている人への思い遣りだけではなく、見ることのない子孫への思い遣りも勝るとも劣らないものではないのか。
私が若かりし頃の日本は、人口増加社会で花の東京を目指す時代だった。それで良かった。
しかし、これからは少子高齢化社会、それは人口減少社会。
それであれば、これからの社会は目指すところは花の地方だ。
人口増加社会では東京を目指す。
人口減少社会では地方を目指す。
どんな地方を皆んなでつくっていくのか、皆んなで考えよう。まさに、素晴らしい桃源郷を皆んなで創っていくのである。
とても夢があるではないか。
私が東京を夢見て東京を目指したように、私の第二生のこれからの時代は、地方を夢見て地方を目指す時代だ。
老若男女が、夢見て目指したいと思う地方を創っていくことが、これからの時代を明るく元気なものにする。実に楽しいではないか。
五木寛之さんが1967年(昭和42年)に『青年は荒野をめざす』と言う小説を世に出した。そして、ザ・フォーク・クルセダーズが同名のフォークを歌ってヒットさせた(作詞:五木寛之)。
[青年は荒野をめざす]
ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
いま青春の河を超え
青年は青年は 荒野をめざす
もうすぐ夜明けだ 出発の時が来た
さらばふるさと 想い出の山や河よ
いま朝焼けの丘を越え
青年は青年は 荒野をめざす
みんなで行くんだ 苦しみを分けあって
さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ
いま夕焼けの谷を越え
青年は青年は 荒野をめざす
最初はひとりでも、その想いを強く持ってぶれずに行動していけば、その想いは人づてに伝わっていく。
皆んなで手を取りあって、苦しみを分けあって、前進していくことだ。
そうすれば、人口減少社会であっても、桃源郷のような素晴らしい社会を創っていくことができるだろう。
私はそんな地方をふるさと能登から創っていきたいと思っている。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)