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能登復興のため[OUEN Japan]らしい応援をする

5月の2泊3日の北陸出張(能登〜金沢〜富山)を無事終えることができ、富山発15:11の[はくたか568号]で帰途に着いた。実に有意義な出張だった。

元日の能登半島地震以来、ずっと喉の奥に刺さっていた小骨は、3月からの月一の能登出張(3回)で、漸く取り除くことができたようだ。
私は"ふるさと能登"に何をすることができるだろうか。まだまだ総天然色にはほど遠いが、朧げながら白黒画面で見えるところまできたように思う。

やはり、現地を見ること、知ること、現地の方々のお話しを聞くことで、より臨場感が湧いてくる。自分ごととして考えることができるようになる。
そして、ソクラテスの"汝自身を知れ"の箴言通り、私の想いと、天が私に与え給うた得手が合わさることにより、私がやるべきこと、私ができることが明確になってくる。
3月から5月までの3ヶ月、計3回の出張で、白黒でも見える段階まで来ることができたことは、やはり中能登町の皆さんが私を温かく迎えてくださったからだろう。ありがたいことだ。

6月下旬にも出張を予定しているが、これからは、もっと腰を落ち着けて、具体的案件解決に向けて、種々雑多な案件に取り組んでいきたいと思う。
そして、来年1月25日(土)のOUEN信念会(於いて、東大駒場)までには、いくつかの案件が形になるところまで持っていきたいと思う。

中能登町の皆さんといろいろお話ししていて、一青妙さんと一青窈さんの姉妹の話になった。
そして、お姉さんの妙さんは"中能登町観光大使"に就任されているとか。

一青窈さんは「ハナミズキ」でヒットを飛ばしたが、私は彼女の姓の「一青」を何と呼ぶのかと思うことなく「ヒトト」と呼ぶことができた。
それは、中能登町の旧鳥屋町に「一青(ヒトト)」という在所があって、私の伯父さんが社長をしていた鳥屋酒造が一青にあったからだ。さらに旧鳥屋町には「花見月」という在所もあった。

そんなことで、一青窈さんは、鳥屋町に関係がある人ではないかと思った。案の定、ネットで調べたらお二人のお母様は鳥屋町出身だった(お父様は台湾出身)。

お姉さんの一青妙さんは女優・エッセイスト・ナレーター・歯科医という素晴らしい女性だ。
また、妹の一青窈さんも、歌手・作詞家・女優という、こちらもお姉さんに負けず劣らず素晴らしい女性だ。

一青妙さんは4月21日に、「がんばろう北陸!つながる富山と石川 復興応援ライド」 (氷見〜七尾〜中能登〜羽咋〜中能登〜七尾〜氷見)のサイクリング大会の団長をされて、能登の復興の応援をされたとか。

[OUEN Japan]としても、何か能登の復興のため、[OUEN Japan]としてできること、[OUEN Japan]らしい応援をしていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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