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"恕の心"の大切さ

71年生きてきて、漸く、今のこの仕事(人と人をつなぐ"一匹狼の仕事")が私に一番相応しい仕事だと心から思うようになった。
「仮名手本忠臣蔵」の"おそかりし由良助"ではないが、いくら何でも古稀を過ぎて適職を見つけるとは遅きに失することではあるが、ありがたいことに、生まれ変わって第二の人生のやっとまもなく2歳である。まだ現役は29年ある。これからが本番であると思って仕事をしよう。

それほど、自分の適職に出合うのは難儀なことだと思う。
私は、幼い頃は政治家や官僚になりたいと思っていたが、それは政治家や官僚が世間で言う"えらい人"だという感覚があっただけのことで、私はえらくなりたかっただけのこと。私が務めることができる仕事ではない。稲盛和夫さんが仰る「人は何のために生まれてきたのか」を突き詰めることをすれば、そんな結論にはならない。今考えると私には一番相応しくない職業ではないかと思う。

大学を卒業して銀行員になったが、これもまた、性格からして相応しいとは口が裂けても言えない。よくも21年間、大過なく勤めたものだ(それは、銀行の皆さんが私の好きなようにさせてくれたから。もうそれも潮時と思って退職に至った)。

それから四半世紀、あれやこれや転職と自営を経て、「これが天職だ」と思うところに落ち着いた。私にはこの"一匹狼"が相応しい。
せいぜい緩やかでも強固な団結力がある、人を応援する組織をつくることが私に相応しい仕事だ。
これからは、脇目も振らず、一意専心、"ふるさと能登"のために、人と人をつなぐ仕事に徹することだ。

私は仕事がら、老若男女を問わず、経営者をはじめとするさまざまな人にお会いする。
OUEN塾のリーダーをしていた20代の若者たちは、よく事務所に来ていろいろ私に相談を持ち掛けてくる。
私が若い時は、転職する人は落ちこぼれのように見られて、よっぽどのことがなければ転職をしなかったものだ。昨今は売り手市場のこともあり、転職ビジネスは確固とした市民権を得ている。私のところに相談に来る若者たちは、就職して1年も経てば、当然のように転職を考えている人が一人ならずだ。"石の上にも三年"の諺があることは知らないようだ。
グッと我慢ができないのかもしれないが、適職を見つけようと人生を真剣に生きているのかもしれない。
ベンチャービジネスを起こそうと思って、そのことを堂々と宣言して就職する強者もいる。それはそれで素晴らしいことだと思う。私の若い時はそんな勇気はなかった(能力がなかったことが大きいが)。

東大卒でも、中央官庁や大企業への就職は昔ほど人気がないようだ。
優秀な学生、自分の能力に自信がある学生は就職しないで起業することが増えてきた。勤めても、20代後半〜30代前半で退職して起業する若者も少なくない。最近、私はそんな若者を応援することが多くなってきた。

その志や良し、その意気や良し

しかし、71歳の老人から言わせてもらうと、自分自分と自己主張することだけではなく、相手のことを思い遣る"恕の心"、そんなことをしたら、しなかったら、相手は不快に思うという"惻隠の心"をもっと持った方がいいと思うことが多くなったと感じている。誰彼ということなく、一般的にそんな傾向がある。

謙虚でない人は、その人は自分に自信があるから、傲慢になる傾向がある。聡明才弁は厚顔無恥、傲慢不遜と隣り合わせだと言うことだ。
また、人柄が穏やかで、誰にも好かれる良い性格と思う人でも、少し恕の心が不足しているために、クイックレスポンスができない人がいる。人柄が良いので、「あの人は忙しいのだ。大目に見てあげよう」と相手が思っている内はいい。しかし、世の中そんなに甘くはない。ビジネスとは厳しいものだ。そんなことをしていると、いずれは信頼関係に傷がつく。そして、次第に相手にされなくなってくる。

それを、私がどこまで優しく、それでストレートに伝えることができるか。その若者と至極人間関係が近しいケースでもその言い方を考えてしまう。
それが、老人になった私の仕事でもあるのだが、全ての若者に私が言えるわけではない。なかなか難しいところだ。

21世紀の日本を担う若者を育てたい。そんな想いを持って、能登の復興応援に絡んで、若者を育てていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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