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我以外皆師也

OUEN Japanが、中能登町から"地方創生アドバイザー"の委嘱を受けるに当たって、13社のOUEN Companyの皆さんから「中能登町に寄付をしたい」とお申し出があった。13社から、中能登町長宛の"寄付申出書"をお送りいただき、町に提出した。18日までに寄付金をお振込みいただき、19日に中能登町役場にて、受納式が執り行われる段取りだ。ありがたいことだ。

OUEN Japanは、10月から"中能登町地方創生アドバイザー"として、OUEN Companyの皆さんとともに町の課題解決に勤しむことになる。そして、延いては、中能登町を起点として、能登半島(富山県氷見市を含む)の地方創生再生の応援をしていきたいと思う。

私は15歳まで中能登町で生まれ育った。祖父母をはじめとする家族・親戚や在所の皆さん、小中学校の仲間たち等、皆さんに大事にしていただいた。
高校は金沢、大学は東京、社会人になったら東京をはじめとした勤務地で、温かい人の温もりの中で育った。
私なりの苦労はあったのだが、それは生簀の魚のような生温い水の中での苦労であり、甘ちゃんの域をでないものだった。
人の苦労はピンからキリまであるが、私の苦労はそのキリ(一番甘い)の苦労だったと思う。
それで人さまの前で、「私は辛酸を舐めて苦労してきた」と言えるような代物ではない。
私は素直に育ってきたと思うが、それは辛酸を舐めて、人間ができて、それで素直になったのではない。人さまに大切にしていただいて、その温かさのなかでぬくぬくと素直に育ったものだ。

しかし、ほんまものの素直さとは、ほんまものの強さとは、それはピンの辛酸を舐めて、その中で苦労して、その苦労を全く人に垣間見せることをしない、そんな素直さ、強さの中にあるのだろう。
それは優しく、温かく、人を思い遣ることができる懐が深い人間性の中にある。

そのような人との出会いが、私をほんまものの素直さ、強さ、優しさを持った人間に育ててくれる。

私にとって、その人は稲盛和夫さんであったり、人生の大先輩であったり、同期であったり、後輩であったりもする。老若男女、全ての人から学ぶことが多いのだ。

小説「宮本武蔵」を書いた吉川英治は、"我以外皆師也"という箴言を残したが、まさにその通りだ。
素直な心を持たなければ、そのような言葉を発することはできない。

私は応援団というむくつけき男たちの中で育ってきた。育てられてきた。社会人になって、銀行の人事部に7年あまり在籍した。ちょうどその在籍期間は、昭和60年の男女雇用均等法ができた年から7年あまりだ。

今放映されているNHKの朝ドラの「虎に翼」ではないが、男女差別を強く意識した7年間だった。
総合職にチャレンジして入社してきた女性たちは、きっと人生で初めて男女差別を実感したことだろう。

「虎に翼」を見ていて、虎子の生きざまが素晴らしいと思う。決してウーマンリブではなく、それでいて、妥協して生きるのでもない。
淡々と生きているようで、その中に真の芯の強さがある。優しくて、強い。

強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない
(レイモンド・チャンドラー)

私のメンターは、そのような優しく、強い、素直な、私より子どものような、年齢の人間として賢い、何人かの女性たちだ。 

義理と人情は男の世界と思って生きてきたが、今、私は「義理と人情を併せ持った、強く、優しい心根を持っている人は寧ろ女性が多いのではないか。いや、どちらが多いかではない。男にも、女にも、老いも若きも、同じように心清き、心優しき、心強い人はいる」と思うようになった。

"重陽の会"という、私を囲む女性経営者の会のメンバーは、そのような人たちの集まりである。
私は皆さんの言動の中から多くの学びを得ている。
私は誰よりも幸せな人間だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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