見出し画像

ふるさと能登の大地震

元日の16時から、子どもたちと孫たちとでZOOMで新年のご挨拶をしていた矢先のことだった。

私は、事務所で、午前から午後にかけて、ムビレタ年賀状の発信の作業をしていたので、そのまま事務所からのZOOM参加だ。妻と長男夫婦は私の自宅から、二男家族は大阪から、三男家族は文京区からと4拠点のZOOMだ。

16時10分、東京も大阪も地震で揺れている。震源地は東京と大阪の間の東海道のどこかと思いきや、私のふるさとである石川県能登半島ではないか。
今までも、奥能登の珠洲市で小振りの地震は頻繁に起こっていた。しかし、今回はその大きさは半端ではない。震度はM7.6だという。
早速、気象庁は、この地震を『令和6年能登半島地震』と命名した。

阪神大震災以来、震度7以上の地震は、4つある。

阪神大震災 M 7.3
東日本大震災 M 9.0
熊本地震 M7.3


東日本大震災には及ぶべくもないが、能登半島地震は阪神大震災や熊本地震よりもマグニチュードが大きいとは驚きだ。

母は、父亡きあと、能登で一人にしておくのもいろいろ問題があると思い、まだ63歳であったが能登を引き払い、東京へ来てもらった。早いもので、それから30年が経つ。
最初は私の船橋の自宅に住んでいた。それから、義父が亡くなってから、義父が老後を悠々自適に過ごすために買い求めた千葉県富津の別荘に移り住んでいたが、寄る年波もあり青山に引き取り、今は神奈川県の青葉台の老人ホームでお世話になっている。

私は一人っ子なので、能登には兄弟姉妹はいない。金沢に住む従弟が墓守りをしてくれている。
そんなこともあり、OUEN Japanのビジネス&ボランティアで定期的に石川県に出張するが、金沢市や能登の七尾市には行くものの、なかなか、私が生まれた中能登町には足が向いていなかった。

ちょうど、昨年12月に関東なかのと会が神楽坂であり、私の1学年先輩だった宮下町長から"ふるさと納税"のお願いをされて、少しは中能登町のために尽くさねばと思って"ふるさと納税"をしたばかりだった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
(室生犀星)

そのふるさとに大地震が起こったのだ。昨夕から余震はひっきりなしに起こっている。
隣町の原発がある志賀町は震度7の余震で、中能登町は震度6だ。

[OUEN 信念会]を終え、1月下旬には石川県と富山県の出張をしようと考えていたが、ちょっと様子を見ざるを得ない。

NPO OUEN Japan は学生たちの応援団からスタートしたが、究極は『地域創生』がミッションだ。
そんな想いで、福岡県(九州北部)と石川県(北陸)の地域創生の一助になりたいと思っている。

コロナ禍が落ち着き、今年から新たな形の[OUEN塾]を考えていたところだったのに、北陸ではスタートを遅らせる必要があるだろう。よくよく、ふるさと能登の地域創生サポートの時期と中身を見直さなければならなくなった。

恒例になっていた年賀状を今年はムビレタにしたのだが、今年は年賀状を全てムビレタにするというわけにはいかない。
年賀状仕舞いでも、1年前からそんな通知を年賀状に書いてある。私は1ヶ月前の昨年12月に、ムビレタにしようと決めた。そして、今年も多くの年賀状をいただいた。
お返しをムビレタにしようと思っても、先方のメールアドレスやスマホの電話番号が分かっている人にはムビレタを送ることができるが、そうでない人はハガキの年賀状にならざるを得ない。整理してみると、その枚数は50枚以上あった。それでも600枚からしたら、10分の1になった。これでよしとしよう。

今日は、長男夫婦と青葉台の老人ホームの母を訪問して、帰ってから年賀状を書くことにしようと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

いいなと思ったら応援しよう!