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能登に対する私の想い
元日に能登半島が地震に見舞われ、3月から毎月2泊3日の頻度で、「OUEN Japanとして何ができるだろうか」との思いを持って、ふるさと能登(中能登町)を訪れている。
3月から半年が経った。来月(10月)から、能登の創再生の応援を本格化させる。
以下に、能登に対する私の想いの丈を記す。
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Ⅰ.私の履歴および職務経歴
1.氏名 小林 博重(こばやし ひろしげ)
2.生年月日 昭和27年(1952年)11月8日(71歳)、石川県中能登町(旧鹿西町)能登部上にて生を享ける。
3.学歴
能登部小学校~鹿西中学校~金沢大学附属高校~東京大学文科Ⅰ類~東京大学法学部
4.職歴
⑴ 安田信託銀行(個人営業、公共法人営業、事業法人営業、人事(採用・研修・企画)~明治安田生命(生命保険エージェント、Million Dollar Round Table(MDRT))
⑵ 平成20年に独立し、人と人、企業と企業をつなぐビジネスマッチングを生業とする(株)南青山ビジネスパートナーズを設立する。
⑶ 平成24年、共立メンテナンスに東京大学をつなぎ、東大の学生・留学生向けに日本人大学生および来日留学生が集う提携国際交流宿舎を提供する(井の頭公園に男女2棟)。
⑷ 平成25年、共立メンテナンスに東京工業大学をつなぎ、東工大の学生・留学生向けに、同じく提携国際交流宿舎を提供する(川崎市梶ヶ谷に1棟)。
⑸ 平成26年、日本人大学生および来日留学生を応援するNPO OUEN Japanを設立する。
具体的には、日本人大学生と来日留学生が手を取り合って、グループごとに、地元の企業を研究し、企業訪問して、経営トップ・経営幹部や先輩社員と意見交換をすることで、地元に愛着を持ってもらうことが狙いである。
そして、延いては、OUEN Japanがみんなととも、に地元を元気にする“地方創生の一翼を担うNPO”になることを目指している。
⑹ 私はOUEN Japanの理事長であり、学生たちは私を“団長”と呼んでくれている。
今は亡き石原信雄元官房副長官がOUEN Japanの応援団長であった。筆頭理事は元九州大学総長、当時の福岡女子大学理事長兼学長(現、福岡女子大学最高顧問)の梶山千里さんである。
梶山先生のアドバイスをいただき、学生たちと地元企業の交流イベントであるOUEN塾は福岡県からスタートした。
⑺ 高校同期や私が顧問をお引き受けしている金沢市本社の(株)浦建築研究所の浦社長から、「是非、石川県においてもOUEN塾を開催しては如何か」とのアドバイスをいただいたことで、令和2年、コロナ禍の最中であったが、オンラインで石川県でもOUEN塾を開催した。
⑻ その後は、コロナ禍の中でもあり、福岡県と石川県のOUEN塾は中止を余儀なくされて、今日に至っている。
Ⅱ.私のモットー=敬天愛人・絶対積極・応援人生
安田信託銀行でベンチャービジネスを中心とした事業法人新規開拓に従事していたおり、ベンチャービジネスの社長の何人かが稲盛和夫さんが塾長をされていた盛和塾の塾生だった。
そのことがご縁で稲盛さんにお逢いする機会があり、その出逢いもきっかけの一つとなって銀行を退職するに至った。そして盛和塾に入塾した。
稲盛さんは郷里鹿児島が産んだ偉人西郷隆盛を私淑されていて、“敬天愛人”をモットーとされていた。
また、中村天風師を敬愛され、人生は“絶対積極”で生きるべきとも仰っていらした。
すなわち、天を敬い人を愛する人生、何事にも何があっても絶対的に積極的に生きて生き抜く人生を全うするということだ。私もそうありたいと思う。
そして、東京大学応援部で学んだ“3S‐Spirits(サービス、サクリファイス、スタディ)”を私なりに意訳した“社会貢献、活私奉公、人生修養”の3つを全うする“応援人生″をモットーとして掲げている。
Ⅲ.中能登町(能登半島)の地方創再生に関して
⑴昨年10月、ホテル椿山荘東京にて開催された「いしかわ県人祭」に参加し、中能登町のブースにて中能登町長にお会いした。
また、町長には、12月の「関東なかのと会」の集まりへのお誘いをいただいて参加した。
町長から、「中能登町のふるさと納税をよろしく」とか「OUEN塾で中能登町を素通りして七尾ばかりに行かないで、生まれ育った中能登町にも立ち寄ってほしい」と言われ、「年が明けたら2月にでも役場をお訪ねします」と返答した。
⑵12月に、妻ともども中能登町へふるさと納税をした。そして、2月に中能登町へ伺おうと思っていた矢先、元日に能登半島が地震に見舞われた。
2月に町長にお電話して、「中能登町に伺いたい」とお話ししたところ、「それでは3月にお待ちしています」とのご返答をいただき、伺うことにした。
⑶中能登町は奥能登や七尾ほどの被害は甚大ではなかったが、それでも至るところ地震の被害を垣間見ることができ、「OUEN Japanとして、OUEN Companyの皆さんのお力をお借りして、何かお手伝いができないか」という思いが日々募ってきた。
そんなことで毎月2泊3日の頻度で中能登町を訪問し、町の課題をお聞きして、OUEN Japanとして何ができるのかを考え、知恵を絞り、培ってきた人脈を駆使している。そして、課題解決のため、ニーズに合ったOUEN Companyの皆さんを同行して中能登町に伺っている。
⑷黄さん(イノベーションソフト社長、OUEN Japan副団長)から、「団長のふるさとの能登を応援したい。連れて行ってほしい」と言われ、3月から毎月同行いただいている。
会社を経営しながら、何の縁もゆかりもない能登に、ボランティアで私と同行いただいていることに、私は深い感動を覚えており、彼女には感謝という言葉しか表す言葉はない。
黄さんは、私の部下ではなく、志を同じくするイコールパートナーであり、ビジネスのみならず、プライベートな人間としてのベストパートナーである。
⑸これからの具体的活動としては、中能登町の課題解決ができるであろうOUEN Companyの皆さんをタイムリーに中能登町にご来町いただいて、課題解決に拍車をかけ、スピードある案件進捗を図りたいと思っている。
⑹そして、中能登町の課題解決のみならず、自治体の壁を超えた応援活動を行いたいと思う。
すなわち、中能登町を拠点にして能登半島を創再生することである。
近接市町(七尾市、羽咋市、志賀町、富山県氷見市)との連携を図り、能登半島南部(中能登地域)の地方創再生の応援をすること。その応援を能登半島北部(奥能登地域)にまで拡げていくことである。
⑺そのためには、今までの月に2泊3日では対応できないと思われ、月に10日~2週間の中能登町滞在を考えている。いわゆる東京と能登の二拠点生活になる。
⑻OUEN JapanはOUEN Companyの皆さんに支えられて成り立っており、年に1回開催するOUEN Japan信念会は、毎年200名近くの方々にお集まりいただいている。
来年1月25日(土)の東京大学(駒場)で開催するOUEN Japan信念会はテーマを“能登の創再生の応援”とする。そして、今回は300~350名に集まっていただきたいと考えている。
短期・中長期に亙り、取り組む応援活動は数限りなくある。10年~20年の長丁場になる。
これに応えていくのがOUEN Japanのミッション、小林博重の第二生のミッションである。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)