![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171670069/rectangle_large_type_2_92fedec8eb761948439b08ccb57d1f29.png?width=1200)
能登を応援するキックオフとしての[OUE Japan 信念会]
1月25日(土)。[OUEN Japan 信念会]を、無事、盛会裡に終えることができた。
![](https://assets.st-note.com/img/1737858376-h5JP2dgX84tERCe3MuWKi1cs.jpg?width=1200)
前回まではホテルでの開催だったが、今回は東京大学駒場生協食堂にしたこともあり、何でもできると思って少し欲張って企画した。しかし、それに対処する人たちのことまで頭が回らなかった。それで消化不良になったことは否めない。
何せ、このような企画は初めてのことであり、今回の成功と失敗を次回に活かすことで、さらによりよいものにしていこうと思う。
失敗は成功のもと
無理せず着実に
他にも教訓がある。あまりに私がバタバタし過ぎていたので、関わってくださった皆さん方への配慮が足りないところがあった。私1人でしているわけではないことは私の哲学のなかにしっかり入っているのだが、多忙すぎるとそのことを蔑ろにしてしまうことがおうおうにしてある。
また、忙しすぎると有意注意がおろそかになる。分かっている"心の指先確認"を怠ってしまう。それでさらにバタバタになる。それが人さまにご迷惑をかけることになり、私の想いとは真逆の現実になってしまう。絶えず、有意注意を意識しよう。
無理はよそうぜ、からだに悪い
いつも有意注意の癖をつける。有意注意を無意注意になるまで徹底させよう。
今回の信念会は、〜能登の復興・地方創生の応援〜がテーマだった。そして、能登の応援の1回目は、その応援の拠点にする中能登町に焦点を当てた。まずは中能登町で実績をつくり、七尾市・羽咋市・志賀町・氷見市(富山県)の能登半島南部地域の地方創生の応援をすることをミッションとする。次に北部の奥能登地域に拡げていく。そんなことで次回以降も能登の地方創生をテーマにしたいと思う。
私は開催のご挨拶で、私の能登への想いをお集まりの皆さんに宣言した。素直に想いを伝えること、公言することでその想いはより揺るがないものになっていく。
私が社会人になったとき、それはもう半世紀前のことだ。三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」というサッポロビールの男臭いコマーシャルが流行っていた。
私は新入社員研修のグループ発表の時、このフレーズを大きく掲げたことを覚えている。
しかし、「男は黙って」と言ってもそれを口に出しているから黙っているわけではない。これも有言だ。
とにかく、黙っていてはダメなのだ。思うことを口に出さないで、それを実行しなかったら誰にも咎められないという姑息な考えが、「黙って」のなかには隠れている。
人さまに強く自分の想いを伝えることで、己の弱い心を強くするのだ。
大事を成すには有言実行をモットーとすることだ。
多くの人たちと名刺交換をした。
"友だちの友だちは皆友だち"だから、友だちがその人の友だちを連れてきてくださっているからだ。
皆さんからいろいろな話を聴いた。立ち話だが、ピンとヒントになる話もあった。
「東京でお会いして、その先を打ち合わせしましょう」とか、
「私が能登にいる時に能登に来てください。人を紹介もするし、いろいろ能登を見ていただいて具体的な提案をいただきたい」とか。
能登の人たちとの距離感がグッと近くなってきている。
能登を離れて半世紀経っているのに、能登の生まれだから、その思いが顕在化してきたのか?
それもあるだろうが、むしろ私が半世紀の間、能登を離れていて東京在住のために、そんな思いになったところもある。
若い人たちはずっと能登に住むのもいいが、都会に行って仕事をする、都会に住んでみる、そして都会から能登を見つめてみる。そのことで、より能登を愛することができる。
それには、教育で、「生まれた能登はいいところだ。さらにいい田舎にしていきたい」と思う"郷土愛"を持つ子どもたち、青年たちを育てることだ。
"志を果たして、いつの日にか帰らん"というふるさとの歌詞は、今は昔のことだ。
"志を果たすために、ふるさとに帰る"ことがこれからの地方創生には必須だろう。
地方創生には、そのような見方・考え方が日本の若者に求められているのではないか。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)