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中能登町を全国区の里山にする
能登半島は、大きく3つの地域に分けることができる。奥能登と中能登と口能登だ。奥能登地域は、輪島市・珠洲市・能登町・穴水町の4市町、能登半島の北部。中能登地域は、七尾市・中能登町・志賀町の3市町、能登半島の真ん中。口能登は、羽咋市・宝達志水町の2市町、能登半島の南部で加賀地方と隣接している。この9市町が能登地方だ。
※能登半島地震は、特に奥能登地域(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)や奥能登に隣接した中能登地域(七尾市と志賀町)に甚大な被害が遭った。
しかし、もっと広域に、半島地域の振興の観点から、かほく市・津幡町・内灘町の3市町を加える場合もあるが、加えられた3市町は、金沢市を含む加賀地方に属するという意識ではないのか。
むしろ、地理的に見たら一目瞭然。石川県のかほく市・津幡町・内灘町ではなく、富山県の氷見市が、能登半島を構成している自治体になる。
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一般的に言って、能登のイメージ・売りは、海(海の幸と能登の海岸の自然美)だろう。
私は中学生(15歳)まで能登で育ったが、”能登は海”、そんなイメージを強く持っていた。
[ 能登の里山里海について ]
「能登の里山里海」は、日本列島のほぼ中央に位置する石川県の北部、日本海に突き出た能登半島の4市5町に広がっています。2011年6月、新潟県佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」とともに、国連食糧農業機関(FAO)により、日本で初めて世界農業遺産に認定されました。
”能登の里山里海”と言うが、イメージは里海が圧倒的に強いと思う。だから、そんなこともあって、私は「海のない中能登町は、何の変哲もない町だ」と思っていたのだろう。
しかし、能登は世界農業遺産に認定されている地域であり、海もあれば山もある。海のない中能登町は、もっと強く、”里山”を売りにしていけばいい。
昨年3月から毎月、中能登町に帰るようになって、そのような想いを少しずつ強く持つようになった。農事組合法人「能登やまびこ」理事の稲葉清弘さんにお会いし、かぶ菜や中島菜の栽培現場を拝見させていただいて、その想いが強くなった。
「中能登町地方創生アドバイザーである私は、”中能登町を能登の里山として全国にアピールする”ことが私の一つのミッションだ」
そんなことを思って、昨日(1.10)、稲葉さんに丹羽真清さん(元デリカフーズ社長、元デザイナーフーズ社長)をご紹介した。
丹羽さんとの出逢いは、七朋会(国立七大学応援団OB・OG会)の大先輩である元名大応援団長の舘本勲武さんのご紹介だった。舘本さんはデリカフーズグループのオーナー、創業者だ。
丹羽さんは、舘本さんの三顧の礼でデリカフーズ社長に就任された。その時、私は舘本さんに丹羽さんをご紹介いただいたのだ。
私が舘本さんに、「デリカフーズのコンペチタ―はどこですか」とお聞きした時、舘本さんは、「それは製薬会社だよ。製薬会社は、”薬で人の健康を守る”。健康長寿社会を創る。デリカフーズは、”野菜で人の健康を守る”。健康長寿社会を創るのがデリカフーズのミッションなのだ。その方が、日本の医療費の大幅削減にもつながる。小林さん、そうは思わないか」と仰った。
そして、「それを具現化するために丹羽真清さんを三顧の礼で迎えたのだ」と仰った。
私は「応援を哲学する」ことで生涯を貫こうと思っているが、丹羽さんは、それが野菜なのだ。すなわち、”野菜を哲学する”ことを追求(追究)されている。迫力ある女傑である。
何年か前に、私が長崎IRに関係していた時があった。「IRが地方創生になる。九州の地方創生の応援をしようと、福岡でOUEN塾を開催しているのであれば、福岡を中心としたOUEN Companyや首都圏のOUEN Companyを巻き込んで、長崎でIRを進めよう」とある人に煽てられて、”地方創生”の魔法の一言で、長崎IRに関わっていた。
その時、IRでの食の観点から丹羽さんにご相談したことがあった。
その時、丹羽さんに小っ酷く叱責された。
「小林さん、IRは博打ですよ。博打で地方創生とは名ばかりとは思いませんか。『バカもハサミも使いよう』と言うのでしょうが、IRはバカでもハサミでもありません。極悪人ですよ。小林さんは極悪人の手先になるんですか」
そして、極め付けは、「小林さんが私淑している稲盛和夫さんに、そのIRの話を『世のため、人のため』と言って、お話しを持っていくことができますか」と。手厳しかった。
長崎IRは結果オーライ。消えて無くなってしまった。
昨日、久しぶりにお会いして、「小林さん、IRに関わらなくなって良かったですね。小林さんはお人好しが着物を着て歩いているような ところがあるから、しっかりした人がそばにいてサポートしてあげないととんでもないことになりかねない」と、そんなことを言われてしまった。
丹羽さんには、「もう、小林さんとは絶交だ」と言われていたが、何とか絶交だけは免れることができた。くわばら、くわばら。
中能登町を里山にする。
全国銘柄の里山にする。
もう少し、ない頭を使おう。
人さまのお知恵をお借りしよう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)