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七朋会幹事会の忘年会を開催する

12月22日(日)16時から、七朋会幹事の忘年会を西櫻亭伊勢丹新宿にて開催した。
「七朋の集い」(11月30日(土)開催、於東大駒場生協食堂)で司会をお願いした裕美ちゃん(安藤裕美さん、西櫻亭副社長)の慰労会も兼ねている。

七朋会幹事の忘年会を西櫻亭伊勢丹新宿にて開催

参加者は北大1、東北大1、東大2、名大2、九大2の8名と、プラス裕美ちゃんの合計9名。
16時〜19時の3時間に亙るザックバラン、和気藹々のあっという間の3時間だった。
会食が終わって、2次会は伊勢丹の近くのカラオケ店で、懐かしの昭和の流行歌を歌った。私たち同期3人は昭和50年卒団(部)で古稀を過ぎている。後輩たちも51年、53年、58年、59年の卒団(部)だ。私たちより若いと言っても、皆んな還暦を過ぎている。おじいさんばかりだ。
私は、最近の歌は全く分からないが、皆んなが歌う歌は全て知った歌だ。歌っても、聴いても、それは愉しいひとときだった。

七朋会は、国立旧帝大の七大学応援団(部)のOB・OG会だ。当初は、昭和50年3月に卒団(部)した私たち同期の同期会だったものが、先輩たち・後輩たちも巻き込んだ懇親会(「七朋の集い」)になった。
ここのところ、毎年11月の最終土曜日に東大駒場生協食堂で開催している。七大学応援団(部)のOB・OGのほか、東京六大学応援団のOB・OGや、OUEN Japan の仲間たちも加わって、総勢100名に及ぶ懇親会になっている。

東京六大学応援団連盟は、明治神宮球場をメッカとする東京六大学野球リーグ戦の応援活動が求心力になっている。しかし、国立七大学は七大学総合体育大会があるものの、大学は北海道、本州、九州と広く全国に亙っており、七大学の応援団(部)が一堂に会するのは、夏の1週間だけと短い。その交流頻度は、常時交流がある東京六大学応援団とは雲泥の差がある。
私の前の代までは東大は東京六大学に偏っていて、国立七大学を重視してこなかった。しかし、私が幹部になる時は、総合体育大会が東京で開催されることもあり、1年先輩の幹部は、前年に仙台で開催された七大戦に応援部全員で参加することを決めてくれた。
そこで、他の国立六大学応援団との交流ができて、安心して昭和49年夏の東京での七大戦を迎えることができたというわけだ。
東京の七大戦では、他大学応援団には失礼なこともあったが、それがきっかけにもなって、同期会である七朋会ができた。
たった年に1週間の交流である。それも日中は応援活動があり、交流するのは夜の飲み会の短時間だ。それが、生涯に亙る付き合いをするまでになるとは一般の方には不思議に思われるだろう。
それは、応援活動を通して、人間が大好きな人間同士だからこその故だ。

私は、「七朋会を立ち上げて本当に良かった」と思っている。
同期でも年に1週間の付き合いである。後輩に至れば、その付き合いはない。それが七朋会を介して交流を深め、人生を語り合う。応援の真髄を語り合う。

応援とは援けに応えると書く。相手への思いやり、利他の心、人のために尽くすことの大切さを共有している。だから、心が通じる。

私は応援について、中学生から関わっている。大学ではどっぷりのめり込んだ。そして、社会人になって、銀行に入り、仕事として、人(企業)を応援することに徹してきた。
古稀になって、生前葬&出陣式で生まれ変わり、第二生で応援の真髄を極めようと思った。そして、能登半島地震があって、能登が私を能登に呼んでくれた。そして、「能登のために尽くせ」と言っている。
それは、能登を応援することが私の人生の集大成になるということだ。

[東京大学応援部の3S-spirits]
1.サービス(Service)→社会貢献
2.サクリファイス(Sacrifice)→活私奉公
3.スタディ(Study)→人生修養

私は、これからも、この3S-spiritsを極め続ける人生を送ろうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名   小林 博重)


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